日本の起源
日本人の起源
原日本人の起源に関しては、埴原和郎が骨計測の観点から日本人のルーツに関して、南方(古)モンゴロイド系の人々(縄文人)が最初に日本に定住し、その後、かなりの数の北方(新)モンゴロイド系の人々(弥生人)の渡来が続き、それらが混血して現代の日本人が形成されたとし、特にアイヌは、北方モンゴロイド系の人々(弥生人)とはほとんど混血せずに進化した南方モンゴロイド系(縄文人)であると仮定し、それが定説となっていた。
【南方モンゴロイド系】 【北方モンゴロイド系】
しかし遺伝子研究の発達や、また考古学の観点から、弥生人と同じく縄文人も北方起源であるという仮説が提唱された。
「日本人バイカル湖畔起源説」は特に日本人の起源をバイカル湖周辺のブリヤート族と特定した説である。
日本人 どこから来た? (中日新聞 2016.7.18朝刊)
日本国の起源
時 期 | 書 名 | 日本に関する記述 | ||
---|---|---|---|---|
西暦 | 中国 | 日本 | ||
BC2000~400 | ● 日本は「 ● 漢の楽浪郡(朝鮮半島の一部)に日本の使者が遣わされた | |||
BC400~AD200 | ● ● 倭国王に | |||
AD200~500 | ( | ● 邪馬台国の女王 その地位を表す「金印 ![]() |
「日本」の表記が定着する以前、日本列島には、中国の王朝から「
【魏志倭人伝の抜粋とその日本語訳】
女王国より北方にある国々は、其の戸数・道里を略載することが可能だが、其の他の傍国は遠く絶(へだ)たっていて、詳(つまびらか)に得ることができない。
斯馬国、己百支国、伊邪国、都支国、彌奴国、 好古都国、不呼国、姐奴国、對蘇国、蘇奴国、 呼邑国、華奴蘇奴国、鬼国、爲吾国、鬼奴国、 邪馬国、躬臣国、巴利国、支惟国、烏奴国、奴国。
此れが女王の境界が尽きる所である。其の南には狗奴国がある。男子を王と為し、其の官に狗古智卑狗(くこちひく)が有る。女王に属せず。帯方郡から女王国に至る、1万2000余里である。
『日本書紀』では日本の初代天皇の神武天皇は神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)と言われ、饒速日命は「虚空見つ日本の国」と日本を呼んだ。神話の部分では伊弉諾尊が日本の国名の原型である。「大日本豊秋津洲」(おおやまととよあきつしま:本州の事)を国生み神話で築いた事になっている。
『古事記』ではヤマトを倭で表す事が多く、日本書紀も時々倭の表現を使う。『新羅本紀』では「670年、倭国が国号を日本と改めた」とされている。
「倭」と「日本」の関係について、『日本書紀』によれば、「ヤマト」の勢力が中心に倭を統一した古代の日本では、
漢字の流入と共に「倭」を借字として「ヤマト」と読むようになり、やがて、その「ヤマト」に当てる漢字を「倭」から「日本」に変更し、当初はこれを「ヤマト」と読んだとする。『旧唐書』は、「倭国」と「日本国」を併記した上で、日本国は倭国の別種とし、倭国が日本国に改名した可能性と元小国の日本が倭国を併合した可能性について記している。
「日本」という国号の表記が定着した時期は、7世紀後半から8世紀初頭までの間と考えられる。この頃の東アジアは、618年に成立した唐が勢力を拡大し、周辺諸国に強い影響を及ぼしていた。斉明天皇は658年臣の阿倍比羅夫に、外国である粛慎(樺太)征伐を命じている。663年の白村江の戦いでの倭国軍の敗戦により、唐は劉徳高や郭務悰、
司馬法聡らの使者を倭国に遣わし、唐と倭国の戦後処理を行っていく過程で、倭国側には唐との対等関係を目指した律令国家に変革していく必要性が生じた。これらの情勢を契機として、668年には天智天皇が日本で最初の律令である。近江朝廷之令(近江令)を制定した。そして672年の壬申の乱を経て強い権力を握った天武天皇は、天皇を中心とする体制の構築を更に進め、689年の飛鳥浄御原令から701年(大宝元年)の大宝律令の制定へと至る過程において国号の表記としての「日本」は誕生したと考えられる。
「日本国」の呼び名
「大八州」「敷島」「秋津島」「神国」「神州」「皇国」「扶桑」「大和」など別称がやたらと多い。「豊葦原瑞穂国」「中津国」「日の本」「日の本の国」また、「浦安の国」というのもある。ちなみにこことは全く関係ない「言霊の幸ふ国」「蓬莱」「和州」「倭(蔑称ともとれる)」「大八洲国」「八洲」「大倭・大日本(おおやまと、大和国及びに日本の美称)」「日出処」「皇神(すめかみ)の嚴くしき国」「豊葦原之千秋長五百秋之水穂国」「師木島」「磯輪上秀真国」「東海姫氏国」「玉垣内国」「豊葦原千五百秋瑞穂国」「東海女国」ってのもある。ところでこれ書いてて思ったけど別称の中に美称も含むっけ?「東瀛」ってのもあったはず。
【日本神話】について
初代の天皇

神武天皇(じんむてんのう、庚午年1月1日 - 神武天皇76年3月11日)は、日本神話に登場する人物で、日本の初代天皇(古事記、日本書紀による)。
日本書紀によると、天皇在位は辛酉年(神武天皇元年)1月1日 - 神武天皇76年3月11日とされる。
『古事記』では神倭伊波礼琵古命(かむやまといわれひこのみこと)と称され、
『日本書紀』では神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)、始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)、若御毛沼命(わかみけぬのみこと)、狹野尊(さののみこと)、彦火火出見(ひこほほでみ)と称される。
神武天皇という呼称は、奈良時代後期の文人である淡海三船が歴代天皇の漢風諡号を一括撰進したときに付されたとされる。
天皇が即位した月日は明治期に新暦に換算され、2月11日とされた。これにより、2月11日は日本が建国された日として、明治6年(1873年)に祭日(紀元節)と定められた。紀元節は昭和23年(1948年)に廃止されたものの、昭和42年(1967年)には建国記念の日として、祝日とされた。西暦:紀元前660年に当る(推定)
古事記と日本書紀
【「古事記」と「日本書紀」】
両書は以前より存在した「
古事記 | 日本書紀 | |
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性 格 | 天皇家の私史(国内向け) | 国家を示す正史(海外向け) |
史的意義 | 現存する最古の書物 | 最初の勅撰歴史書 |
編 者 | 「帝紀」「旧辞」(共に現存しない)を誦習した 稗田阿礼が語り太安万呂が筆記 | 川島皇子・忍壁皇子ら6人の皇親と中臣連大島ら6人の宮人が編纂を始め、舎人親王らが受継ぎ完成 以降続けて「六国史」が編纂された |
成 立 | 和銅五(712)年 | 養老四(720)年 |
収録期間 | 天地初発(神代)~推古天皇(33代) | 天地開闢(BC660)~持統天皇(41代) |
表 記 (写 本) | 日本語文脈を活かした漢文体(音表現) 【例】伊耶耶岐(イザナキ) 須佐之男(スサノヲ) ![]() | 純粋な漢文体(意味表現) 【例】伊奘諾(イザナキ) 素戔鳴(スサノヲ)&br+ ![]() |
巻 数 | 全3巻 | 全30巻+系図1巻 |
特 色 | ドラマ性に富み物語的・文学的 出雲におけるオホクニヌシの話が重要な地位を占める 氏族の系譜に対して関心が高い | 異伝を記し史書としての性格が強い 出雲を起源とする神話が登場しない 中国思想の影響がある |
系統図解 | ![]() | ![]() |
皇統譜を拡大表示 「諡号」は日本書紀による | 神統譜を拡大表示 | |
↑何れも★印が初代(拡大図の右上Ⓧ印で閉じる) | ||
![]() 歴代天皇一覧 | 『古事記』によると、今から約2,700年に神武天皇が日本を開国されたとされていますが天皇家は、それ以前に しかし日本人のルーツや日本の起源については、飛騨に伝わる口碑が具体的現実的な史実として語られ続けているそうです。 | |
欠史八代天皇(2代目~9代目)![]() | 1. 日本神話に登場する人物であり、古事記では日本の初代天皇で皇統の祖とされている。日本書紀によると、天皇在位は辛酉年(神武天皇元年)1月1日 - 神武天皇76年3月11日とされる。『古事記』では神倭伊波礼琵古命(かむやまといわれひこのみこと)と称され、『日本書紀』では神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)、始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)、若御毛沼命(わかみけぬのみこと)、狹野尊(さののみこと)、彦火火出見(ひこほほでみ)と称される。 欠史八代 非実在(?)とされる天皇 欠史八代(24代~33代)説もある 2. 諡号: 神沼河耳命(古事記)神渟名川耳天皇(日本書紀) 3. 師木津日子玉手見命(記)磯城津彦玉手看天皇(紀) 4. 大倭日子鉏友命(記)大日本彦耜友天皇(紀) 5. 御真津日子訶恵志泥命(記)観松彦香殖稲天皇(紀) 6. 大倭帯日子国押人命(記)大日本足彦国押人天皇(紀) 7. 大倭根子日子賦斗邇命(記)大日本根子彦太瓊天皇(紀) 8. 大倭根子日子国玖琉命(記)大日本根子彦国牽天皇(紀) 9. 若倭根子日子大毘毘命諡号(記)稚日本根子彦大日日天皇(紀) 10. | |
三種の神器 | ![]() | 天皇さえも見ることが許されない。三種の神器(みくさのかむだから、さんしゅのしんき(じんぎ、しんぎ))は、日本神話において、天孫降臨の時に、瓊瓊杵尊が天照大神から授けられたという鏡・玉・剣のこと。王権のシンボル (左図左) (左図中央) (左図右) 岳精流の紋章 ![]() |
年 号 元 号 | いわゆる「年号」は、日本人にとってはしごく当たり前な事柄であるが、年号制度の存在しない外国人には不思議な感じらしい。この起源は古代中国にある。 元号は紀年法の一種であるが、西暦やイスラム紀元や皇紀(神武紀元)などの無限のシステム(紀元)とは異なり、皇帝や王など君主の即位、また治世の途中にも随意に行われる変更(改元)によって元年から数え直され、名称も改められるという、有限のシステムである。 元号の元年は「1年」に当たる。 君主が特定の時代に名前を付ける行為は、君主が空間と共に時間まで支配するという思想に基づいており、「正朔を奉ずる」(天子の定めた元号と暦法を用いる)ことがその王権への服従の要件となっていた。⇒元号について 日本の元号一覧 |
天皇制

考古学的に確かな史料は存在せず、紀元前660年弥生(または縄文)時代の中国の歴史書に邪馬台国とその女王・卑弥呼が存在したのは三世紀頃とされている。その後「空白の四世紀」があり「古事記」「日本書紀」の編纂により王権の誕生が記述されている。しかし日本の天皇家が世界最古の王家であることはまちがいない。プロトコール(外交儀礼上の慣例)では、天皇・皇帝・国王・皇太子・大統領・首相の順に格付けされエンペラー(Emperor)と称されるのは日本の天皇のみ。実在する最古の天皇は神武天皇とされる。
現在の天皇は「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」として位置づけられているが、これは天皇家の「不親政の原則」「祭祀王の役割」「血統主義の伝統」に因るものである。⇒歴代天皇一覧
【御名】(天皇の名前)
天皇家は姓を持たない、「氏姓」とは王家に貢献した臣下に対して王が与えるものである。「
「平成」は『史記』五帝本紀の「内平外成(内平かに外成る)」 『書経』大禹謨「地平天成(地平かに天成る)」からの由来。
「平成」年号の下、万世一系にして世界最古の皇統を継承された今上天皇(明仁天皇)のご聖徳は広く内外から称えられ、平成26年12月23日めでたく御年81の
【生前退位】への思い
天皇陛下は、平成28年8月8日午後3時 象徴としての務めについてのお気持ちをビデオメッセージで表明され、皇太子さまに皇位を譲る生前退位の実現に強い思いを示され、国民に理解を求められた。ビデオメッセージは海外へも同時配信された。
メッセージを語られる天皇陛下 海外の反応

【お気持ち】(全文) 太青文字は要旨
戦後七十年という大きな節目を過ぎ、二年後には、平成三十年を迎えます。
私も八十を越え、体力の面などから様々な制約を覚えることもあり、ここ数年、天皇としての自らの歩みを振り返るとともに、この先の自分の在り方や務めにつき、思いを致すようになりました。
本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。
即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。
そのような中、何年か前のことになりますが、二度の外科手術を受け、加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から、これから先、従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合、どのように身を処していくことが、国にとり、国民にとり、また、私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、考えるようになりました。既に八十を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。
私が天皇の位についてから、ほぼ二十八年、この間(かん)私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行(おこな)って来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井(しせい)の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。
天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。また、天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には、天皇の行為を代行する
天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ二ヶ月にわたって続き、その後喪儀(そうぎ)に関連する行事が、一年間続きます。その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。
始めにも述べましたように、憲法の下(もと)、天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。
国民の理解を得られることを、切に願っています。
【象徴とは】
過去に天皇陛下が発せられたお言葉は、戦没者の追悼や被災者への見舞い・功労者へのねぎらいなど公的な分野に向けられたものだった。戦後憲法下の「象徴天皇」は国民と苦楽を共にし相互理解を深めてきた自負と誇りを感じさせ、積み上げてきた象徴天皇としての歩みが安定的に続くのか、強い危機感もにじませる。象徴とは何か、われわれ国民も真剣に考える必要がある。
【生前退位について】
課 題 | 論 点 | 説 明 |
---|---|---|
退位の理由 | 「崩じたとき」とする皇室典範との整合性 | 【論点】 これまで政府は、天皇地位の安定を前提に生前退位を否定してきた。歴史的にも、江戸時代以前には生前退位が珍しくなく退位後に上皇や法皇による院政の影響力の弊害が生じた。また天皇の意思に反する譲位や天皇の自由意思による退位が相次ぐ可能性は想定する必要がある。 【課題】 生前退位を認める場合は、新たな地位呼称・身分・待遇、公務継続の有無など。皇位継承順位も、皇太子が即位すれば秋篠宮を「 【法整備】 ①有識者会議などの設置 ②政府方針の決定 ③立法形式(皇室典範の改正・特別法の制定) ④国会審議 |
退位による弊害 | 天皇の意思に基かない退位や強制的な退位が生じないか | |
摂政・国事行為・臨時代行との関係 | 病気などの代行制度がある中、生前退位が認められるか | |
陛下退位後の処遇 | 退位後の呼称・身分や経済面などの待遇 | |
国政権能の行使 | 政治的権能を持たないとする憲法の規定に反しないか |
⇒長寿・賀寿一覧
半寿記念の奉祝貨幣 (英連邦クック諸島政府の発行)
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金 貨(直径:33mm 重量:15.5g) | 銀 貨(直径:38mm 重量:31.1g) | ||
背面は共に元首エリザベス2世の肖像 | |||
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貨幣の図柄 |
【御所言葉・女房言葉】
御所内だけで使われた言葉で、昭和天皇によって現在は使用されていない。しかし庶民にとっては憧れであり、スノッブ的に使われ日常会話にも残っている。女房言葉(女房詞・にょうぼうことば)とは、室町時代初期頃から宮中や院に仕える女房が使い始め、その一部は現在でも用いられる隠語的な言葉である。語頭に「お」を付けて丁寧さをあらわすものや、語の最後に「もじ」を付けて婉曲的に表現する文字詞(もじことば)などがある。省略形や擬態語・擬音語、比喩などの表現を用いる。優美で上品な言葉遣いとされ、主に衣食住に関する事物について用いられた。のちに将軍家に仕える女性・侍女に伝わり、武家や町家の女性へ、さらに男性へと広まった。
区分 | 言 葉 | 参 考 | |
---|---|---|---|
御所内 | 一 般 | ||
家系 | おじじさま | 御祖父 大正天皇 (嘉仁親王) | ![]() |
おばばさま | 御祖母 貞明皇后 (九条節子) | ||
おもうさま | 御父陛下 昭和天皇 (裕仁親王) | ||
あたたさま | 御母陛下 良子女王 (香淳皇后) | ||
おかみ | 天皇陛下 今上天皇 (明仁親王) | ||
皇后さま | 皇后陛下 皇后さま (美智子皇后) | ||
東宮さま | 皇太子殿下 (徳仁親王) | ||
大宮さま | 皇太后陛下 (雅子妃) | ||
食材 | およね | 米 | ![]() |
おまんま | ご飯 | ||
おじや | 雑炊 | 「じやじや」という煮える時の音からというが、語源不明。![]() | |
おむすび | おにぎり | ![]() | |
そもじ | 蕎麦 | ![]() | |
おかちん | 餅 | 「お」+餅を意味する古語「搗飯(かちいい)」が訛った「かちん」。![]() | |
おはぎ | ぼた餅 | (牡丹餅)小豆の粒を萩の花に見立てた表現。![]() | |
おかべ | 豆腐 | ![]() | |
いと | 納豆 | ![]() | |
むし | 味噌 | ![]() ![]() 全国の味噌分布図 | |
おつけ | 味噌汁 | 「付け」は飯に付けて出すもののことを言う。本来は吸い物の意であったが、味噌汁のことを、味噌の女房言葉である「おみ」と合わせて「おみおつけ」というようになり、それが略されて特に京阪神で「おつけ」で味噌汁の意としても使われるようになったものである。![]() ![]() 味噌汁人気具材(拡大) | |
おでん | おでん・田楽 | (味噌田楽、煮込み田楽)おでんは本来は豆腐などを串に挿して味噌などを付けて焼く田楽の意であるが、焼かずに煮て調理する煮込み田楽が普及し、煮込み田楽の意で使われるようになった。![]() ![]() | |
おしろもの | 塩 | ![]() ![]() 塩の違い(拡大) | |
おしんこ | 漬物 | ![]() ![]() 全国の漬物(拡大) | |
おひち | 水 | ||
いさゆ | 湯 | 「い」=副詞 +「さゆ」=「白湯」:何もない純粋な 「素湯」:スユ(素湯)の転訛語 | |
ささ | 酒 | 女房詞。中国で酒を竹葉といったことからとも、「さけ」の「さ」を重ねたものともいう![]() ![]() 酒の分類(拡大) | |
おつくり | 刺身 | どちらも魚(特に)を生で食べる時の切った盛り付けです。 ★お刺身:関東名で特に江戸っ子が好んで使った呼び名で、さほど切り方・盛り 付けに工夫がなく、鮮度差を最重要・重視した呼び名。 ★お造り:関西名で、特に京都のお料理屋さんが好んで使った呼び名で、松皮造 りとか ![]() ![]() | |
おまな | 魚 | 真魚というのは「食用の魚」という意味。また「真魚の祝い(真魚始め)」の略。これは古くは3歳、室町時代には生後101日目、江戸時代では120日目に行った、子供に初めて魚肉を食べさせる儀式のことです。日本人は古来より魚を食べてきたので、お魚に対する思い入れは特別なものがあるのでしょう。神聖視されてるものもありますし、めでたい席にお魚は付き物です。![]() 刺身魚 | |
おひら | 鯛 | 「お平」:福島の郷土料理で煮物の一種。結び昆布、ごぼう、まいたけ、油揚げ、素焼きのはやを干した串魚(くしうお)などをしょうゆ味で煮たもの。古くから冠婚葬祭の席に供される行事料理。漆塗りの平椀に盛りつけることから。![]() | |
えもじ | 海老 | ![]() | |
おかか | 「お」+「鰹節」の「か」を2回重ねたものか。![]() ![]() 鰹節詳細(拡大) | ||
あおもの | 野菜 | ![]() 主な野菜(拡大) | |
らおもの | 大根 | ![]() 大根の種類(拡大) | |
調理 | ひどる | 食材を焼く | ![]() 料理の方法(拡大) |
したためる | 食材を煮る | ||
なおす | 食材を切る | ![]() | |
はかる | 食材を刻む | ||
すます | 食器を洗う | ![]() | |
おてすまし | 手洗い | ![]() 手洗いの手順(拡大) | |
その他 | オツム | 頭 | もと女房詞「おつむり」の略、主として幼児に対して用いる 「お」=接頭語 「つむり」=「つぶり(粒)」の転訛語 「り」=省略 |
オグシ | 髪の毛 | 平安時代は「みぐし」といって女房(女官)ことばだったが 現在では他人の髪にたいする尊敬語 | |
おむつ | 下着 | 古来の言葉「 1反の | |
おなら | 屁 | 「お鳴らし」が略されてできた女房言葉 ![]() |
国体について
参照⇒日本の歩み?
【臣民】・・・天皇陛下によって生きる恩恵を授かる 家来・配下としての民。
【国民】・・・民主主義的な国家の下 憲法等により人権が保障されてる民。
【人民】・・・社会主義国家において 完全な統制の下、支配されてる民。
【
日本国憲法

憲法の三大基本原理
1. 基本的人権の尊重
2. 国民主権
3. 平和主義
日本国憲法第九条
中日新聞(2016.8.12)
''>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95%E7%AC%AC9%E6%9D%A1]] [#i5798042]
中日新聞より転載させていただきました。
参考⇒日本のユダヤのハーモニー 日本の古代史について
日本語学習サイト日本語について様々な面より解説
日本語について
[[アクセントについて>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%88#.E9.AB.98.E4.BD.8E.E3.82.A2.E3.82.AF.