日本の文化

日本文化とは

文化という言葉は、芸術や学問など人間が生み出した高い達成度を持つもの(ハイカルチャー)を指すとともに、人間の社会が長年にわたって形成してきた慣習や振舞いの体系を指す。後者の意味では衣、食、住などの日常生活全般に関わる慣習や、芸能、道徳、宗教から政治、経済といった社会構造まで、その範疇は非常に幅広い。

日本の文化も単純にひとくくりにできるものではなく、様々な要素を含んでおり、古代から中世にいたっては中国を中心としたアジアの近隣諸国、そして明治以降の近~現代では欧米からの影響を受け、吸収・取捨選択を繰り返し、様々な手が加えられて独特な展開を遂げている。日本の伝統文化は、神道(しんとう)」を基軸として、外来の文化を取り込みながら、時代とともに変遷してきたが、表面的に大きく変化していても、その中に一貫する極めて日本的な要素や傾向を指摘できる面もある(例:住居が和風の座敷から洋間に変わっても、室内に靴を脱いで上がる点では変わらない)。
鳥居 神道について
日本文化を特徴的に示す概念として、()という言葉がしばしば用いられる(例:和語、和文、和歌、和服、和食、和風旅館など)。「和」は古くから日本を示す言葉で、漢(中国)や洋(西欧)など外国からの事物に対比して使われる。また「大和(やまと)」という言葉が使われる場合もある(例:大和言葉、大和魂、大和撫子、大和絵など)。「大和」は本来、奈良地方を指すが、同時に日本全体を示す古い言葉でもある。古代からこの国において不変と考えられる事象を示して呼ぶことが多い。
和 について
日本文化、あるいは日本人を特徴づけると考えられる概念を中心にした日本文化論・日本人論も多く提唱されている。
日本人の気質と主張される具体例

気  質具  体  例
お辞儀と敬礼お辞儀と敬礼
【お辞儀】基本的な動作は以下のとおり。
  ①立ち止まり、きれいな姿勢で立つ。
  ②相手と目を合わせる。
  ③腰を折り曲げる。
  ④腰を戻す。
語先後礼」という言葉にあるとおり、先に「ありがとうございます」などを言ってからお辞儀をするのが正式とされるが、実際にはお詫びなどの特別な状況を除き、お辞儀しながら言葉を発することが多い。近年、ビジネス界では男女のお辞儀の仕方に差異が見られ、例えば男性は腰を曲げたときに手は体の横にそのまま添わせ、女性は臍の下あたりで両手の指先を重ねるように、ビジネス・スクールやマナー教室で教えているが、本来の礼法ではない。このお辞儀の仕方では、男性はかかとを付ける姿勢を求められるので、体を倒す時にバランスをとろうとして自然に両手が尻を抑えることになり、女性は腹痛時と同じ姿勢となると同時に両ひじが張って大変見苦しく、ひじを張るまいとすると両手の位置は丹田よりさらに下がって陰部を上から押さえる格好となる。このビジネス式お辞儀はそうした意味で、相手に対して大変失礼な形になるので、伝統的な本来のお辞儀を行うのが国際的な場面でも望ましい。伝統的な立礼に男女の差はなく、足を平行にして立ち、手先をまっすぐ伸ばしてそろえ、自然に手が定まる位置を出発点として、静かに腿の上を膝がしらに向けて滑らせる。首だけを丸め込まず、首と背中がまっすぐなまま尻を後ろに突き出す要領で上体を前に倒すと、美しいフォームになる。
【敬礼】腰を30度ほど曲げるお辞儀で、これを敬礼と言う。ビジネス上は最も一般的とされ、来客への挨拶や会議室への出入りなどでも使用される。より敬意を表すためには、45度ほど腰を曲げてお辞儀をする。これを最敬礼と言う。非常に重要な相手(取引先の代表者など)への挨拶や、重要な依頼や謝罪をするとき、また冠婚葬祭の場などで使用するとされる。また両手には荷物を持たない。さらに、天皇など非常に身分の高い人物と交わす時には、90度腰を曲げることもある。
本音建前本音と建前
表向き『和』を重んじることになっているので、表向きは無難なことだけを言い、真意は相手に「察してもらう」ことを期待する傾向が強いとされる。私的な空間や利害関係のない相手と向き合っているときなど、『和』という表向きの約束事にも配慮する必要がないときは、露骨に自分の本音を出すようになる傾向がある。
ハレ(晴)ケ(褻)ハレ(晴)とケ(褻)
ハレ(晴)は儀礼や祭、年中行事などの「非日常」、ケ(褻)は普段の生活である「日常」を表している。もともとハレとは、折り目・節目を指す概念である。ハレの語源は「晴れ」であり、「晴れの舞台」(=生涯に一度ほどの大事な場面)、「晴れ着」(=折り目・節目の儀礼で着用する衣服)などの言い回しで使用されている。これ対し普段着を「ケ着」といったが明治以降から言葉として使用されなくなった。また、現代では単に天気が良いことを「晴れ」というが、江戸時代までさかのぼると、長雨が続いた後に天気が回復し、晴れ間がさしたような節目に当たる日についてのみ「晴れ」と記した記録がある。ハレの日には、餅、赤飯、白米、尾頭つきの魚、酒などが飲食されたが、これらはかつて日常的に飲食されたものではなかった。また、そのための器もハレの日用であり、日常的には用いられなかった。
あいさつあいさつ
いただきます、ごちそうさま、ただいま、おかえり、いってらっしゃい、いってきます、失礼します、など。挨拶の言葉は、往々にして天候に言及するものである。多分同じ時間と場所にいる万人に共通して興味のある話題だからであろう。また、それに続くちょっとしたやりとりにも、天候に関するものがよく持ち出され、それも挨拶の一部と見なされる。大村益次郎は村医者であった頃、「暑いですね」に「夏は暑いのが当たり前です」と返すようなやり取りをするので煙たがられたという。
言葉による挨拶   身振りによる挨拶  文章における挨拶  それ以外の形
根回し根回し
非公式な打ち合わせで、事前に利害を調整しておく交渉のやり方。樹木を移植するに先立ち準備する一連の作業のこと。転じ根回して、物事を行う際に事前に関係者からの了承を得ておくこと(下打ち合わせや事前交渉などの段取り)をも指す言葉となった。
談合談合
上層部による話し合いで問題を解決するやり方。解決に至った場合は手打ちという儀式行為が成される。水枯れ期の田圃への取水についての村落同士の話し合いなどを発生起源とし、近年では土木・建設をはじめ多くの公共事業の分配方法の商慣習として蔓延していた。諸外国におけるカルテル同様、商行為上の犯罪行為として摘発されるようになってきている。(英語: Cartel、独: Kartell)とは、企業(事業者)間で価格や生産数量(生産計画)、販売地域などを協定することである。「企業連合」とも呼ばれる。
謙遜羞恥心謙遜
【羞恥心】自我や自尊心の延長にある概念である。「恥となる行動をしてしまった」と感じる感情である。この感情は、社会規範への適応といった行動を促すが、その一方で過度に感じる場合には、行動の萎縮などといった問題を生む。
  ①自己の存在が取るに足らない物と感じ、自己を否定したいと思う「全体的自己非難」
  ②恥を感じる状況から逃げたい、恥を感じた記憶を消したいと思う「回避・隠蔽反応」
  ③自分が周囲から孤立したと感じる「孤立感」
  ④人に見られている、人に笑われていると思う「被笑感」
羞恥心はしばしば罪悪感と比較される感情である。羞恥心を感じやすい人は、罪悪感を持ちやすい人より攻撃的で、反社会的であるとする研究もある。羞恥心は、外部への帰属、他者への強い焦点、復讐といった感情や行動を発生させる屈辱感を伴い易いからである。自分が社会的なルールや常識を知らないで、ルールに違反してしまったり、自分が望むだけの成果を上げられなかったりした場合に、自分が身の置き所がなくなり、自身の内にこみ上げてくる感情・情動のことと解される。これは様々な面で、道徳や人道といった概念が引き合いに出され、自身の行動を適正化させていく。
【謙遜】自分の能力・価値などを低く評価すること。控えめに振る舞うこと。 「 -した言い方」 〔類義の語に「卑下」があるが,「卑下」は自分自身を低くし卑しめる意を表す。それに対して「謙遜」は自分の能力や功績などをおごらず,控えめに振る舞う意を表す
お上お上
「お上」への従順さ、政治に対する無関心。日本では古来より最上位の権力者をカミと称してきた。武家政権時代であれば、庶民にとってのオカミは領主であり、武士にとってのオカミは主君であり、公家にとっての主上(おかみ)とは天皇であった。明治に入り一君万民論の浸透とともに、狭義には天皇一人を、広義には「天皇の政府」としての公権力一般を指すようになった。第2次世界大戦後は「お上」をもって天皇を指すことは一般的にはなくなり、揶揄的に役所・政府ないし政府機関、省庁を指す俗用のみが残っている。
をかし日本文学(平安期の文学)上における美的理念の一つ。
もののあわれもののあはれ(もののあわれ、物の哀れ)は、平安時代の王朝文学を知る上で重要な文学的・美的理念の一つ。折に触れ、目に見、耳に聞くものごとに触発されて生ずる、しみじみとした情趣や、無常観的な哀愁である。苦悩にみちた王朝女性の心から生まれた生活理想であり、美的理念であるとされている。日本文化においての美意識、価値観に影響を与えた思想である。

日本の文化と宗教の関わり

日本も他国と同じく、古くからシャーマニズムやアニミズム、太陽神崇拝、先祖崇拝といった汎神論的自然崇拝、精霊崇拝があり多神教に基づく宗教文化がある。沖縄の信仰にもその古来の形態を残している。
それは多神教でも独自の特徴があるとすれば、道具や言葉、吐息にまで命が宿るという何でも来いの考え方であり、具体的には、針供養、道具塚や言霊、息吹という表現や、侵略してきた敵さえも祀るという考え方(例えば、蒙古塚)は、その祟りを畏れてである。中華文化では儒教から発展した考え方も多少はあり「敵は死者でも鞭を打て、恨みは石に刻め」などとするが、日本では畏れ畏れて「敵であっても死者には鞭を打たず、恨みは水に流す」とするのである。
遠くインドを起源とする「仏教・密教」を大陸から受け入れて、独自の仏教・密教文化を定着させてきた。さまざまな伝統や慣習のうちには仏教を起源とするものも多く見られ、神道と相互に影響しあいながら日本の信仰や文化の基盤を形作ってきた。また、ヒンドゥー教は、ほとんど直接には日本に伝わってはいないが、仏教・密教に多大な影響を与えているので、日本の仏教や神道においてヒンドゥー教由来の神々が存在し文化的影響がある。
他の東アジア諸国と同様に「儒教」や「道教」も受け入れたが、その影響は朝鮮半島や中国ほどではない。儒教は寄親・寄子の制度や、戸主や家督制度などの社会性に影響を及ぼしている。明治維新によって学問としてのは立場を失ったが、宮中の保守的な漢学者の影響によって思想が教育勅語などに取り入れられた。道教は、そのものより陰陽五行や八卦や宿曜道などが奈良時代から平安時代に隆盛を極め、陰陽師の台頭と共に現在もその思想が風俗となって受け継がれているが、儒教と同様に日本独自のものに変化している。具体的な例としては、干支や家紋の九曜やちらし寿司の四色や五色の彩などが陰陽五行に基づいている。武道も神道が基軸となり、それに儒教や道教や禅宗などが加わって修練による開眼精神と哲学を持った芸になったといわれる。
日本は永らく神道と仏教とを神仏習合(神仏混淆)させてきたが、明治初頭、神道と仏教は再分離され、廃仏毀釈の波の中で多くの仏教や神道の遺産が失われた。神道は国家神道とされて仏教や土着の習俗と引き離され、皇室を中心とする信仰に再編され、政治・教育と結びつけられた。日本の伝統仏教も、この時代に勢力を拡大した新興宗教やキリスト教の脅威に対抗するためこれに協力し、江戸時代に引き続き日本の社会に強い影響力を持ちつづけた。大日本帝国憲法では信仰の自由が規定されたが、政府は「神道は宗教ではない」(神社非宗教論)という解釈に立脚し、神道・神社を他宗派の上位に置いた。しかし、第二次世界大戦後に国家神道は国家覇権の手段となったとされ、GHQの指示によって、神道は政治・教育と分離されて他の宗教と同列の信仰としての位置づけがなされた。仏教も「葬式仏教」と揶揄されるほどに宗教としては形骸化する傾向があり、日本人の日常の生活意識から、神道と仏教を中心とした文化的価値観は薄れてきている。
純粋な宗教的価値観の具現化でないとしても、古来からの神道が礎となってその上に仏教・密教や儒教や道教、あるいはキリスト教をも含め、さまざまな外来の宗教を混在させながら、今日ある日本の精神や文化の土壌は形成された。これらの宗教混在に基づく価値観は日本の風俗習慣、文化に深く根ざしており、祭礼、伝統芸能、武道、農業、林業、水産業、建築、土木、正月、七五三など、さまざまな場面に影響を及ぼしており、神道を主体とする宗教を抜きにして日本の文化や精神の本質は語れないという側面がある。現代世界が抱える諸問題において、このような日本的な宗教的価値観が有効とされる場合もあり、これを方法論としてみた場合、たとえば「里山」あるいは「鎮守の森」の文化や「もったい(物体)ない」の考え方は環境保全に対し、「大豆文化(倹約、醸造は神事)」の伝統は食糧危機に対し、問題の解決を示唆する可能性もある。
伝統芸能や伝統のスポーツ、あるいは日常生活におけるお辞儀・礼儀作法・食事作法などにおいて、広範に見られる特徴として「型(形)」の尊重という点が挙げられ、日本の美点ともされてきた。これらにはあらゆるところから取り入れてきた道徳(各学問からの影響が大きい)の影響や、人と衝突するのを避け和を尊ぶという心性から、無言の内に相手への敬意・配慮の念が込められていることも多い。近年では生活様式の欧米化により「エチケット」や「マナー」などに置き換えられ、これらの日本の伝統的な規範意識の形骸化を憂慮する声もある。
参拝礼 鳥居 神道について釈迦像日本の仏教

神道について

祝詞

鳥居 神道について

日本仏教について

お経

            般  若  心  経(はん    にゃ   しん   ぎょう)
般若心経

般若心経(訳文)




















声明(ライブ)



釈迦像日本の仏教

禅のことば

以下の内容はすべて、足利工業大学講師: 渡曾正純先生の著書『直心是我師-自分らしく生きる-禅語45』(発行:(株)光文社)より抜粋・要約して転載させていただきました。

渡曾正純先生の著書

渡曾正純(わたらいしょうじゅん)先生のプロフィール】
昭和22(1947)年 北海道生まれ、少年工科学校9期・駒沢大学大学院修士課程修了。鶴見女子中学・高等学校教諭のかたわら東邦音楽大学非常勤講師、社会福祉法人諸岳会専務理事、大本山總持寺祖院副寺、金沢工業大学穴水湾自然学苑非常勤講師を経て足利工業大学非常勤講師。著書多数
歌碑『日本を愛す』の建立発起人(歌碑建立の経緯は下表・禅語「本来の面目」を参照)。平成19年6月心筋梗塞で急逝された(享年60才)。左図は渡曾正純先生の著書(表紙カバー)。
はじめに】より
長年、仏教音楽を専門として研鑽を積んできた私にとって「禅語」を通して、その経緯にふれ、仏教音楽とりわけ声明(しょうみょう)は仏前で唱える讃歌で、「言葉」「音楽」が持つ力のすごさ、そして生きる力に繋がっている尊さに思いをいたします。禅の教えである「禅語」は、先人たちの知恵の結晶といえます。

四弘誓願

【意味】
四弘誓願文


地上にいるあらゆる生き物をすべて救済する


煩悩は無量だが、すべて断つ


法門は無尽だが、すべて学ぶ


仏の道は無上だが、かならず成仏する

  【注意】 禅系の三宗(曹洞宗・臨済宗・黄檗宗)では台詞が少し違う



                仏教讃歌(童謡)「仏のこども」(作詞:秋田洪範)

仏の子供

【歌詞】

①我らは仏の子供なり。嬉しいときも、悲しいときも、み親の袖に、すがりなん。

②我らは仏の子供なり。幼いときも、老いたるときも、み親にかわらず、仕えなん








目標禅語主旨解説




生死事大 無常迅速(しょうじじだい むじょうじんそく)時は二度と戻らない

修証義 経典『修証義』(拡大)
道元禅師正法眼蔵に基き、全5章3704字
明治23年、大内青巒居士の編纂による修証義(しゅしょうぎ)の冒頭にある”生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり”とあるように、生と死は人生の根本問題です。私達はこの世に生まれ、一歩一歩着実に死に向って生きています、毎日毎日が生き死にの連続です。これが人生の定めで現実の姿でもあります。鴨長明『方丈記』にも、この人間世界の姿が端的に述べられています。



|~|CENTER:本来の面目|「本当の自分」とは?


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詩歌記念碑
詩歌「日本を愛す」記念碑
碑前での記念撮影
    記念撮影
宗家 庄司社長 丘先生 家元 丘夫人
記念碑除幕式
  記念碑の除幕式
画像の説明
   記念碑での合吟
「時之栖」あるがた山からの眺望
  「時之栖」からの眺望|作家・川端康成氏がノーベル文学賞の受賞記念講演「美しい日本の私」で、道元禅師の「傘松道詠(さんしょうどうえい)」の”春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて 涼しかりけり”を引用されました。すべてのものは、もともと純粋で作偽されない真実な命をもっており、常に偽りのない姿を現すものです。
東京オリンピックの翌年(昭和40年)に作詞家・丘灯至夫氏は、新吟詠「日本を愛す」を横山岳精先生のために書きました。私が17才の頃、岳精先生からこの吟詠の手ほどきを受け愛唱するようになりました。青雲の志を立て郷里・北海道を出たものの幾度か挫折を味わい、そんな中でこの「日本を愛す」に出会いました。月日が流れ、平成18年3月に行きつけの理髪店で偶然にも42年ぶりに劇的な再会が出来ました。先生は89才になっておられました。
平成18年5月、富士山と桜の景勝地・御殿場市にあるリゾートパーク時之栖(ときのすみか)を訪れ広大な敷地の一隅に、仏教詩人・坂村真民氏の巨大な詩碑「二度とない人生だから」を見つけ大きな感動を受けました。その時の感想を「時之栖」社長・庄司清和氏に伝え、以来文通が始まりました。
その後、機会を得て庄司社長にお会いするなり、是非ともここに「日本を愛す」の詩歌記念碑を建立したい旨を告げられ驚きました。早速、横山岳精先生に趣旨を申し上げ、二人で丘灯至夫先生を訪ね快諾を得ることが出来ました。私の一言が記念碑建立に向け動き出すとは夢のようでした
そこには、作偽されない純粋な心の結びつきがあったからこそ、と信じて止みません。そして平成18年12月10日に除幕式を迎えたのです。

                       歌碑除幕式での写真
渡会正純氏 庄司清和氏
         発起人:渡会正純先生(故人)                  建立者:「時之栖」社長・庄司清和氏




⇒新吟詠「日本を愛す









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柔軟心(じゅうなんしん)真に自由な心を得るために

孔子
    孔 子
坐禅
  坐禅(身心脱落)
執着や偏見などで凝り固まった自我を棄て、真に自由になった心のことです。
孔子は常人の陥りやすいこととして
主観的な私意
必ずやり通そうとする無理押し
頑固に自分を守り通そうとする頑なさ
自分のことだけを考える我執

を断ち切って、きわめて円満であったといわれています。
道元禅師は坐禅による[[「身心脱落」]]>http://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%BF%C8%BF%B4%C3%A6%CD%EE]]を説いておられます。







随所(ずいしょ)(しゅ)()自分を最大限に生かす

臨済義玄
   臨済義玄
臨済宗祖・臨済義玄(りんざいぎげん)の言行録『臨済録』の中のことばで、いかなる環境にあっても、そこに自己の主体が覚醒していれば至るところ皆真実の世界であるという意味。
健康なときは健康なように、病気のときは病気の時なりに生き、弱い人は弱い人なりに、強い人は強い人なりに、その生命力を最大限に生かすことが大切です。自分を他と比較するのではなく、自己本来の姿と照らし合わせ「他は我に非ず」で自信を持って前進すべきです。



至道無難(しどうぶなん)自分の物差しで判断しない

達磨大師
  達磨大師(菩提達磨)
菩提達磨(ぼだいだるま)が伝えた『信心銘』の冒頭句で、禅の宗旨を極めて格調高く述べた禅門最初の撰述です。
至道無難 唯嫌揀択(ゆいけんけんじゃく)
至道:心の在りか 揀択:分別し善悪を選り分ける
 ⇒分別・選択を嫌うのもで、分別しさえしなければよい
悲しいかな解っているが、現実には即実行できないのが人間です。人間の中に潜む本性を表した言葉です。
光陰(こういん)は矢よりも(すみ)やかなり
    身命(しんめい)(つゆ)よりも(もろ)
一日一日を大切に

小野小町・和歌
  小野小町・和歌

祇園精舎
  祇園精舎史跡
前述の「修証義」の中のことばです。毎日を大切に生きることが如何に大事であるかを教えています、同じ教えに「而今(にこん)」「刹那(せつな)」という禅語があります。あれやこれやと思い悩んで過ごしているうちに、たちまち老いてしまった我が身を詠んだ歌に
花の色は 移りにけりな いたづらに
     我が身世にふる ながめせしまに
 (小野小町)
他にも人の世のはかなさ無常観を述べた和歌・物語は数多くあります。
祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響あり。
沙羅雙樹の花の色 盛者必衰の理を顕はす。
おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし。
たけき者もつひには亡びぬ ひとへに風の前の塵に同じ。

                     (平家物語)
行く河の流れは絶えずして しかも、もとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは かつ消え、かつ結びて、
               久しくとどまりたる例なし。
世の中にある 人と栖と また、かくのごとし。

                      (方丈記)
自覚のある行持は周囲のすべての人々に「感応道交」(後述)して広がり理想社会となるでしょう。「修証義」の教えは限りない人間愛に満ち溢れています。
勢い使い尽すべからず調子に乗ってはいけない

塞翁が馬
      塞翁が馬
人間は確かに調子に乗りやすいもので、その時が曲者で絶好調の幸運のときこそ、知らぬ間に破局の種が忍び込んでいます。幸運の時に不幸の兆しが起きているとみるべきです。
だからといって物事を行う時は余力を残さず、全力で当たるべきで仕事も勢いがなければ出来るものではありません。結果で判断しがちですが、それまでの過程が本当なのです。同意語に中国故事「塞翁が馬(さいおうがうま)」があります。
禅の教えでは、自己の中に灯を持ち命の中に久遠の生命を発見せよと、心の発揚を促し奥の深い思いやりのある温かい言葉があります。全ては連続しているというスケールの大きさが特徴です。
歩歩是道場(ほほこれどうじょう)日常生活のすべてが修行

菩提樹下の釈尊
   ブッダガヤ
(菩提樹下で成道した釈尊)
人間は二本の足で立ち歩きますが、ただ歩を進めるのではなく進む方向が大事です。行動すること全てが修行で、真理の中で生活しているのです。
「道場」とは釈尊の成道したブッダガヤの菩提樹下の座のことですが、のちに仏を供養するところ・学道を修める寺など修養訓練の場所を指すようになりました。
人をうらやましがることなく自分のペースを崩すことなく、ものごとを継続させることです。


本分(ほんぶん)かけがえのない
 自分という存在

画像の説明

本来の分際・持ち前・身の程・分限のことで、自己の本来性の自覚に根ざした生き方のことです。
この世に生を受けたからには自分の本分を充分発揮し、弱気な時にこそ「本分」の響きは心にズシリとくる存在感があり、勇気を与えられる言葉です。




声明(しょうみょう)「言葉」を大切に

声明
    声 明
私は昭和22年、北海道の津軽海峡に面した禅寺に生まれ,はじめて覚えたお経が「般若心経」と「舎利礼文(しゃりらいもん)」でした。声明とは俗に「お経」と呼ばれますが、仏教の法会に用いられる歌謡の総称で、大勢の僧侶が本堂に集まって低い声で合唱しているもので、仏の徳を讃美し仏教教理を高唱しており、キリスト教の讃美歌にあたるものです。その歌詞によって「インド語」「中国語」「日本語」に分類され、日本語のものは諸邦楽の源泉ともいうべきもので、その意義はまことに大きいものです。例えば平家琵琶・謡曲・長唄・浄瑠璃などで、詩吟も「語りもの」とはいえルーツは声明と思われます。
【参照】⇒日本音楽(邦楽)について
挨拶自分の心を相手に伝える

挨拶
     あいさつ
「挨」も「拶」も押し合うという意味で、禅宗では門下の僧に押問答してその悟りを試すことです。それが手紙の往復・人との応答・返礼さらに出会いや別れのときの親愛の情や儀礼の言葉になりました。
挨拶は人間社会の基本中の基本で、日本社会に於いては挨拶ができなければ仕事になりません。その繊細さは世界一で日本文化の特徴でしょう。禅が日本文化の基層を成している所以といえます。
毎日春有り瞬間瞬間を生かされている

輪廻思想
     輪廻思想
今のありのままの姿を現実に捉えたきわめて達観した表現です。
釈尊も未来よりも「今」を考えることに重点を置いています。ブッダは「解脱」するために悟りを得て自身と同じ仏=ブッダと成ることを目的とした教えを説き「いま」行う修行を奨励した。輪廻(りんね)思想に基づく「死後の世界」や「宇宙の果ての有無」など弟子の質問に、肯定も否定も一切応じず沈黙(無記(むき))を守りました。「毎日春有り」のことばに触れると釈尊の無記が思い出され、噛みしめたい禅語です。
諦観(たいかん)物事の本質を見極める

文殊菩薩
     文殊菩薩
「諦観」とは明らかに観ること・よく注意して観ることです。
釈尊が説法の座に登られたものの一言も語らず、弟子の文殊菩薩(もんじゅぼさつ)はこれこそ釈尊の教えであると大衆に告げ「諦観法玉法(たいかんほうぎょくほう) 法王法如是(ほうおうほうにょぜ)」と伝えた。「法王」=仏・釈尊 「法」=教え・仏法 つまり真実の説法は不説(説くことができない)であって、真理は言葉では言い表し得ないものということになります。実に遠大・深遠で味わい深い言葉です。
言語道断(ごんごどうだん)情報過多の時代を生きる智恵

言語道断
言語道断
言葉では言い尽せないの意味ですが、善い意味と悪い意味の場合があります。普通は「あまりひどくて何とも言いようがない。もっての外である」など強い否定のときに使う。道元禅師も
”もし言語道断、心行処滅を論ぜば、一切の治生産業、みな言語道断し、心行処滅なり、言語道断とは、一切の言語をいふ”
と述べています。
言語・人知を超越して至誠に生きたいものです。
無尽蔵(むじんぞう)執着はいけない

無一物
    無一物中無尽蔵
仏教では徳が広くてきわまりなく、いくら修めてても尽きない法義ととらえます。「無一物中無尽蔵」という禅語があり、何もなく一切の執着を離れた無の境涯を云います。中国では喜捨された施物を蓄えた寺院の藏を無尽蔵と呼び、日常では寺院の修理にあてられるが、飢饉の際には貧民救済に使われ福祉の源流でもある。
()何にだってなれる

無我
    無 我(横山大観 画)
普通一般にいう「有・無」は相対的なものですが、禅宗においては修行僧に対して最初に与えられる課題で高い次元のものを指します。哲学者・西田幾多郎先生は相対的観念を超えた「絶対無」だと説きます。
禅では「空」と同義に用いられ、徹底した否定は全面的肯定と表裏をなしています。他に「無私」「無虚空」「無事是貴人」「無功徳」「無常迅速」「無寒暑処」「無慈悲」「無罣碍(むけいげ)」等々があり深遠で含蓄のあることばばかりです。


目標禅語主旨解説




春来草自生(はるきたらばくさおのずからしょうず)流れに逆らわないで

春がきた
春が来れば自然に草が生えるように万法は皆自ずから然るようにあります。四季のはっきりした日本では、春夏秋冬に対し先人はことのほか繊細な感覚を持ち独自の文化を育んできました。唱歌「春がきた」は心をうきうきさせ躍動感に溢れています。若草つみ・花見・衣更え・田植え・蛍・月見・紅葉・虫の声・時雨・霜・雪見・・・
”をりふしの移り変はるこそ ものごとにあはれなれ”「徒然草」
直路(じきろ)人生は思うより短いもの

人間五十年
仏道に入る最短の道の意で、道元禅師は『正法眼藏』で「まことに坐禅辨道は、仏道の直路なり」と述べられています。道元禅師の鎌倉時代の平均寿命は、わずか25歳の驚くべきことで鎌倉新仏教の祖師たちの言葉には説得力があります。まさに「一寸の光陰軽んずべからず」の格言通りです。いつの時代であっても、「直路」の精神で事に当らなければ・・・という覚悟のようなものを感じます。

徳は身を(うるお)心を広く持ち、
   ゆったりと構えて
中国の古典『大学』の中のことばで、経済的な富は豊かにすることが出来るが、精神的な豊かさは外見にもあらわれる。小さなことに拘らず心を広く持ち、あくせずせずゆったりと構える、志ある者はその事の意味を真剣に考え実行に移すという意味。「徳」のある人は孤立することなく、必ず賛同者が集まるともいわれます。
澄心(ちょうしん)自然の中の心地よさ


鴨長明
   鴨長明
鴨長明の庵
  鴨長明の庵
  (一丈四方)
方丈庵見取図
  方丈庵見取図
心を澄ませる・こころを静かにする・静かに澄んだ心の意味で、古くから「心を澄まし、意を清め、もってこれを存つ」という言葉があり「調心」とも言います。
心を静かに調え雑念を排して、はじめて物事に集中することができます。自然の中に身を置き、その心地よさを語った鴨長明は方丈の庵での暮らしを心から楽しみ次のように述べています。
都に住むことのあやうさを知り、世のつまらぬことを知っているから、世俗の願望をいだかず、あくせくしない。ただ静かな暮らしを大切にし、苦労のないのを楽しみにしているのである。一生の楽しみはうたたねをしている気軽さに尽きるし、この世の希望は四季おりおりの美しい風光を見ることである。
長明の閉鎖的・孤立主義的・独善的ともいえる生き方は出家遁世した者にとっては当然のことかも知れないが、誰もができる生き方ではありません。しかし、自然が作用する人間への影響ははかり知れない。釈尊が長い修行の中からたどりついた坐禅の姿は、私たち対して大いなる励ましでもあります。


 鴨長明
 方丈記
 諸行無常
非思量(ひしりょう)迷ったときは考えなさい

坐禅
坐禅のときの心の持ち方を述べたことばで、道元禅師は『普勧坐禅儀』の中で「非思量此れ乃ち坐禅の要術なり」と述べておられます。身体を調え、息を調えたときに、心も自ずから調ってくる。これが私たちの肉体で、物事にこだわらず今の自分にできることを実践してみることです。


古今無二路 達者共道同(ここんににろなし たっしゃはともにみちをおなじゅうす)真理は一つ

   高村光太郎
    高村光太郎
人が行うべき道は古今東西の聖者によって、さまざまに実践され教えが説かれてきました。高村光太郎の詩「道程」には
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため


味わい深い禅語です。

不審(ふしん)毎日毎日を
 新しい気持で生きる


永平寺(勅使門
   永平寺(勅使門)

画像の説明
   永平寺(承陽殿)
一般には疑わしいこと・はっきり判らないことを云いますが、転じて質問を発するときに用いられる言葉です。
永平寺では承陽殿の道元禅師の尊像に毎日(朝・昼・晩)お茶や食事を献じて、「不審」(ごきげんいかがですか)「珍重」(おやすみなさい)という挨拶が連綿として続けられていることに感動を覚えます。

  永平寺
安心(あんじん)他のものに乱されない
 心を持つ

永平寺(仏殿)
  永平寺(仏殿)
禅宗では、「安心立命(あんじんりゅうみょう)」のようにあんじんと読み、人力のすべてを尽くし身を天に任せて、心を安んじて他のものに動かされないことを云います。
「舎利礼文」に”以仏神力 利益衆生”とあるように、どんなことにも心の平和を乱されない本当の「安心」をもって強く生きていくことです。
眼横鼻直(がんのうびちょく)平凡が大切

道元禅師
     道元禅師

今から750余年前曹洞宗開祖道元(どうげん)禅師は、24歳の時中国に留学し、天童寺如浄禅師に学ばれ、28歳で帰国。帰国後の第一声が「空手還郷」(クウシュゲンキョウ)「眼横鼻直」というものでした。空手還郷とは、「経典や仏像など持ち帰らず、手ぶらで祖国日本に帰ってきました」。眼横鼻直とは、「眼は横に鼻は縦についていることがわかった」と言われたのです。
眼横鼻直
読んで字の如く、「あたりまえ」という意味で、人間として如何に生きるか、あたりまえをあたりまえに行ずることであります。仏教や禅というと、私たちは特別なものとして構えてしまいますが、そうではなく、自分の足元をしっかりと定め、日常生活が真剣に修行として行ずるならば、そこにこそ仏になる道がひらけてくるということを示されたのです。私たちは、あたりまえをあたりまえに行じているだろうか? 食事をすること、掃除をすること、風呂に入ることなど平凡なことですが、これがとても大切なことです。


目標禅語主旨解説







自未得度先度他(じみとくどせんどた)お先にどうぞ

画像の説明画像の説明
法華経信者・宮沢賢治の手帳
自分をさしおいても、まず他を救わんとする仏教の大慈悲行のことで、大乗仏教の根本精神です。「修証義」(第四章・発願利生)の中に
菩提心を発(おこ)すというは、
 ほとけ心に目覚めた生き方をするということは、
己(おの)れ未だ度らざる前に
 自分本位の心を捨て、
一切衆生を度さんと発願し営むなり、
 人のため世のため、生きとし生けるもの全てのもののために
 尽くすという誓願をおこし、実践することである。
設(たと)い在家にもあれ、設い出家にもあれ、
 在家であれ出家であれ、
或いは天上にもあれ、或いは人間にもあれ、
 或いは順境にいようと逆境にあろうと、んな立場であっても、
 それを少しも意に介せず、
苦にありというとも楽にありというとも、
 苦しい時も楽しい時も、
早く自未得度先度佗(じみとくどせんどた)の心を発(おこ)すべし。
 まっ先に自分のことは勘定に入れず、周囲のものの真の
 幸福のために、ほとけ心をおこすことが肝要である。

この言葉に出会うたびに、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」が想いだされます。
直心是我師(じきしんこれわがし)自分の心の中に真理はある

ワーズワース
ウィリアム・ワーズワース
誠実で素直な心のままの自己の心が、道を示す師であるということです。真理を求める時、自己の外に求めようとする人が多いようですが、それだけではいつまでたっても真理は得られvません。自己の内に向って探求し、真実の自己を見つけだしてこそ、はじめて真理を掴むことが出来るのです。天地自然の営みを師とする生き方もありますが、天地大宇宙はそっくりそのまま自己の内に収まっていて別物ではないのです。なんと素晴らしい人間讃歌でしょうか。

イギリスの自然詩人ワーズワース『早春の歌』の一節
自然はその美しき創造物(つくりもの)
わが心に流るる人間の魂を結びつけたり。
さても人間の作りし人間の(さま)を思い
わが心は深く(うれい)いに沈む。


礼儀正しく誠の心を持ち勤勉な日本人、豊かな美しい心を有する日本人・・・・。「直心是我師」の意味するところの世界は限りなく拡がり、希望を与えてくれる禅語です。
一心頂礼(いっしんちょうらい) 万徳円満(まんとくえんまん)いかに行動するか舎利礼文(しゃりらいもん)
仏舎利(釈尊の遺骨)を礼拝供養する時の四言十八句七十二文字から構成された短い詩偈文です。供養・焼香などいろいろな仏事のとき、ただ手を合わせるだけでなく自分の拠り所とするお経を声に出して唱えるてみるとよいでしょう。

一心頂礼。万徳円満。釈迦如来。(いっしんちょうらい まんとくえんまん しゃーかーにょーらい)真身舎利。本地法身。法界塔婆。(しんじんしゃーり ほんじーほっしん ほっかいとうばー)
我等礼敬。為我現身。入我我入。(がーとうらいきょう いーがーげんしん にゅうがーがーげんしん)
仏加持故。我証菩提。以仏神力。(ぶつかじーこー がーしょうぼーだい いーぶつじんりき)
利益衆生。発菩提心。修菩薩行。(りーやくしゅーじょう ほつぼーだいしん しゅぼーさつぎょう)
同入円寂。平等大智。今将頂礼。(どうにゅうえんじゃく びょうどうだいちー こんしょうちょうらい)
               合掌
人々(にんにん)(ことごと)道器(どうき)なりやればできる

瑩山禅師
   瑩山禅師
曹洞宗大本山總持寺開祖・瑩山禅師(けいざんぜんじ)のことばで「人は誰でもその人でなければ出来ないものを持っている」という意味。教育の基本中の基本で、人間愛に満ちあふれた言葉です。
各自が持っている可能性を「道器」という言葉で表現しているところは実に素晴らしく、目の前が明るく開け自信がつき勇気が湧いてきます。やれば出来るのだという思いが心の底からフツフツと湧き起こってきます。




|~|CENTER:同時成道(どうじじょうどう)|精一杯生きぬく

画像の説明

|釈尊の”有情非情同時成道 草木国土悉皆成仏”の言葉で、有情も非情も・人間も動物も・植物も石ころも、みんな一様に成仏しているという意味
です。
人生での借り物・命の貸し借りはできません。一人一人が絶対なる生命を頂戴して、この世に生きています。頭で考える以前の世界で、大自然の恵みによって呼吸し温めてもらい食事をいただき生かされています。この天地・宇宙こそ生命のよりどころであり忘れてはなりません。いわゆる「手前持ち」です、今の今を大切に生きたいものです。|
|~|CENTER:朝々(ちょうちょう)日は東より出て
 夜々(やや)月は西に沈む|あたり前のこと
 の中に真実がある

若山牧水
    若山牧水
|道元禅師のことばです。
若山牧水の短歌
幾山河 越えさり行かば 寂しさの 終てなむ国ぞ 今日も旅ゆく
また ドイツの詩人・カールブッセの「山のあなた
山のあなた
やチルチル・ミチルの「青い鳥」も有名です。
青い鳥

今日ただ今、この中に真のめざしているものがある、ということに気付き行動に移したら実に見事ななことが出来るのです、そのためには常にさわやかな自分でありたいものです。|

無一(むいつ)にして大道に帰す裸で生れ裸で死んでいく

裸で生れ

手ぶらで本来の道に帰る、あれこれ尋ね歩いたが仏法の大道は本来この身に具わっていた、余計な荷物はもはや何一つ必要ない。道元禅師も「空手還郷」と述べています。
生れるときは裸で生を受け、死する時もまた裸です。鴨長明のような出家人でも僅かとはいえ調度品があります。誰しもが歩まねばならぬ涅槃への道「無一にして大道に帰す」は永遠の課題です。
人身得ること難し仏法()うこと()れなり大きな希望を持とう
     瀬戸内寂聴 書
画像の説明

「修証義」の中のことばで、生まれ変わり死に変わる長い輪廻転生の間で、人間の身をいただくことは得がたいことで、仏法に巡り合うことも滅多にないことです。正しい教えは、人生の意義と希望を持たせてくれます。
徳は海のごとく 寿は山のごとし精進努力の大切さ

画像の説明

人の人格的な素晴らしさを海に例えて賞讃し、寿命の長いことを山に託して祝った表現。「無財の七施」の教えのとおり日々 神仏に感謝し 朝夕 祖先を敬慕し 精進 業務に倦まず 常時 和顔愛語す ということです。
無事もう一人の自分と出会うために

画像の説明

禅では妄想分別を捨て、自己自身の保有している仏心に立ち戻ることを云います。何もない「平常(びょうじょう)」な毎日を過ごしたいものです。
人々悉く道器なりやればできる

画像の説明

曹洞宗大本山總持寺・瑩山禅師のことばで「人は誰でも、その人でなければ出来ないものを持っている」という意味。各自が持っている可能性を「道器」ということばで表現し、やれば出来るのだという思いが心の底から湧き起ってくるのがわかります。「人々悉道器」は教育の基本中の基本で人間愛に満ちあふれた言葉でもあります。
我逢人(がほうじん)出逢いが人生を
  豊かにしてくれる

総持寺祖院
  総持寺祖院(輪島市)總持寺
   總持寺(横浜市)
我逢人
道元禅師が中国に渡り、師・如浄禅師との出逢いの様子を述べた言葉です。
人と人・心と心・物と物との出逢いなど、この世はすばらしい出逢いの尊い場所でもあります。人はみな何等かと必ずかかわりを持って生きています、それは自分を豊かにし大きく成長させてくれます。
私は縁あって石川県輪島市門前町の大本山總持寺(そうじじ)祖院に役寮として四年半勤めました。もともとの總持寺は、曹洞宗15,000の全国寺院の96%を輩出した歴史と由緒のある寺です。明治31(1898)年の大火で伽藍の大部分を焼失し、本山機能を横浜市鶴見に移して能登の祖廟として再建されました。
私の赴任を契機に、人と人との出逢いの尊さを「我逢人」という概念で取組む体制を確立しました。お寺は様々なニーズに応えるべく活動し続ける道場です。
その一つが寺の友の会⇒「我逢人の会」です。






感応道交(かんのうどうこう)努力すれば報われる感応道交
     棟方 志功 画
仏と人、教える者と教えられる者との気持ちが通いあうことは、衆生の機感と仏の応用とが相通じて融合することです。これは、物事の理想です。「一心不乱」になって、ものごとに成りきる態度は実に尊い行いです。敬虔な気持を持つことが大切で、常に心の浄化をはかり続けていかなければなりません。
徳は海のごとく
 寿は山のごとし
精進努力の大切さ

画像の説明
人の人格的な素晴らしさを海にたとえて賞讃し、人の寿命の長いことを山に託して祝った表現です。徳は知・情・意すべてに優れ、且それを教えてくれる正しい師に出会う機会に恵まれなければ決して成就するものではありません。そのためには各自が目標を掲げて実践いくことです。
仏教には「無財(むざい)七施(しちせ)」という教えがあります。
1.慈眼施(じげんせ) 常に温かく優しい眼差しを施すこと
2.和顔施(わがんせ) いつもニコニコ笑顔で接すること
3.愛語施(あいごせ) 真心のこもった言葉で語りかけること
4.捨身施(しゃしんせ) 親切にし世話をよくすること
5.心慮施(しんりょせ) 悲しみや苦しみを自分のものとすること
6.床座施(しょうざせ) ゆずり合いの心を持つこと
7.房舎施(ぼうしゃせ) 人の心にゆとりと喜びを与えること





『修証義』(しゅしょうぎ)は、曹洞宗の開祖・道元の著作である『正法眼蔵』から、特に在家信徒への布教を念頭におき、重要な点を抜粋し、全5章31節にまとめたもの。
「修」は修行のこと、「証」は悟りのことで、この2つについての「義」(ことわり)をまとめた物である。
【構成】
 1.総序
 2.懺悔滅罪
 3.受戒入位
 4.発願利生
 5.行持報恩

曹洞宗(そうとうしゅう)(禅宗)について (永平寺・總持寺)
生老病死とは

日本語について

言霊(ことだま)
声に出した言葉が、現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じられ、良い言葉を発すると良い事が起こり、不吉な言葉を発すると凶事が起こるとされた。そのため、祝詞を奏上する時には絶対に誤読がないように注意された。今日にも残る結婚式などでの忌み言葉も言霊の思想に基づくものである。
日本は言魂の力によって幸せがもたらされる国「言霊の幸ふ国」とされた。『万葉集』(『萬葉集』)に「志貴島の日本(やまと)の国は事靈の佑(さき)はふ國ぞ福(さき)くありとぞ」(「志貴嶋 倭國者 事霊之 所佐國叙 真福在与具」 - 柿本人麻呂 3254)「…そらみつ大和の國は 皇神(すめかみ)の嚴くしき國 言靈の幸ふ國と 語り繼ぎ言ひ繼がひけり…」(「…虚見通 倭國者 皇神能 伊都久志吉國 言霊能 佐吉播布國等 加多利継 伊比都賀比計理…」 - 山上憶良 894)との歌がある。これは、古代において「言」と「事」が同一の概念だったことによるものである。漢字が導入された当初も言と事は区別せずに用いられており、例えば事代主神が『古事記』では「言代主神」と書かれている箇所がある。
自分の意志をはっきりと声に出して言うことを「言挙げ」と言い、それが自分の慢心によるものであった場合には悪い結果がもたらされると信じられた。例えば『古事記』において倭建命が伊吹山に登ったとき山の神の化身に出会ったが、倭建命は「これは神の使いだから帰りに退治しよう」と言挙げした。それが命の慢心によるものであったため、命は神の祟りに遭い亡くなってしまった。すなわち、言霊思想は、万物に神が宿るとする単なるアニミズム的な思想というだけではなく、心の存り様をも示すものであった。
万葉時代に言霊信仰が生まれたのは、中国の文字文化(漢字)に触れるようになり、大和言葉を自覚し、精神的基盤が求められたこととも無縁ではないという指摘がある。江戸期の国学によって、再び取り上げられるようになった際も、漢意(からごころ)の否定や攘夷思想とも関連してくるとされ、自国文化を再認識する過程で論じられてきた。
金田一京助は『言霊をめぐりて』の論文内で言霊観を三段に分類し、「言うことそのままが即ち実現すると考えた言霊」「言い表された詞華の霊妙を讃した言霊」「祖先伝来の一語一語に宿ると考えられた言霊」とし、それぞれ「言語活動の神霊観」「言語表現の神霊観」「言語機構の神霊観」ということに相応しいと記している

文字
文字の成立(字源)と変遷(移り変り)
世界の文字はすべて絵を起源としており、絵文字の代表的なものがメソポタミアのシュメール文字(楔形文字)・エジプトの象形文字・中国の甲骨文字であり、日本の文字は中国甲骨文字に強く影響を受けて発展したものです。

古事記・日本書紀以外に神話を伝える「古史古伝」に「神代文字」があったとされていたが、漢字渡来以前に日本固有文字は無かったとする説が一般的です。
その後、中国伝来の漢字は日本独自の変遷(万葉仮名、ひらかな、カタカナ、国字・ローマ字制定など)を経て現在に至っております

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漢字ひらがなカタカナ




成立
漢字の字源ひらがなの字源カタカナの字源
漢字(画像拡大)ひらがな(画像拡大)カタカナ(画像拡大)




変遷
漢字の変遷ひらがなの変遷カタカナの変遷
漢字(画像拡大)ひらがな(画像拡大)カタカナ(画像拡大)
万葉仮名国字ローマ字
万葉仮名(画像拡大)国字一覧(画像拡大)ローマ字一覧表(画像拡大)
へボン式ローマ字一覧表(画像拡大)
他に、正字・異体字・俗字・略字などの分類がある(省略) ⇒ 参照
 『』  『』  『』  
呉音
 修(ギョウ)   (ショウ)
 銀
(コウ)''(セイ)流  
(シン)

 
 (アン)
漢音
 br;唐音'' ズ   トウ  チュウ
音読み
現代印刷書体毛筆書体特殊書体
印刷書体毛筆書体特殊書体
メール向メール顔文字拡大する顔文字字形:手書き文字の「とめ」や「はね」は任意
字形
文化庁文化審議会国語分科会指針
字形見本表の拡大
感情表現の顔文字(メールやインターネット交流サイトの普及に伴い作成・利用されるようになった)
    コーヒー ちょっと一息!  ふざけ文字 最大画数文字 西域哲人
               典拠:蜀山人『狂歌ばなし』など  (ソフト「今昔文字鏡」にも登録されているよ)
ふざけ文字
       ちくわ竹輪
ちくわ
       かまぼこ蒲鉾
かまぼこ
       回転すし(回転寿司
回転すし
       握りすし高い握り寿司
握りすし
最大画数文字(国字84画、おとど・たいと)
84画数文字
西域哲人(仏教伝来道、ほとけ、)
解字は右上から下へ→左へ(中国道教経典)
西域哲人



魯魚の誤】書写するときに誤りやすい文字


()はふさぎ  (おのれ)(つちのと)下につき  半ば開けば(すで)()(のみ)  点(まも)りや(つちのえ)なくとも(いぬ)に棒  衣で(おお)って手で(ひら)

類   似   字   例
魯・魚虚・虎烏・鳥壺・壷亨・亭晴・睛
陜・陝析・柝祇・祗眼・眠遣・遺著・箸
宣・宜貧・貪侯・候幣・弊捐・塤慨・概
矢・失逐・遂飲・飯辨・辯奪・奮傳・傅
苦・苔縁・緑于・干鋼・綱旦・且密・蜜
吟  ず  る   (1音目  ⇒  2音目  ⇒  3音目)
吟ずる(1音)吟ずる(2音)吟ずる(3音)


今年の漢字

今年の漢字(ことしのかんじ)は、漢字(日本語漢字)一字を選びその年の世相を表す字であるとして決定、公表する日本漢字能力検定協会のキャンペーンである。1995年(平成7年)に開始し、毎年12月に発表している。


【概要】
財団法人日本漢字能力検定協会が、その年をイメージする漢字一字の公募を日本全国より行い、その中で最も応募数の多かった漢字一字を、その年の世相を表す漢字として、原則としては12月12日の「漢字の日」の午後に京都府京都市東山区の清水寺で発表することになっているが、必ずしもその日に発表されるとは限らない[1]。選ばれた漢字を「今年の漢字」と呼ぶ。各メディアでも、「今年の漢字」の呼称が用いられる。
1995年(平成7年)に始まった。発表時には、清水寺の奥の院舞台にて、日本漢字能力検定協会の理事も務めていた貫主の森清範により巨大な和紙に漢字一字が揮毫される。その後12月いっぱいまで本堂で一般公開されたのち、本尊の千手観世音菩薩に奉納される。第一生命保険のサラリーマン川柳、住友生命保険の創作四字熟語、自由国民社のユーキャン新語・流行語大賞、東洋大学の現代学生百人一首と並んで、現代の日本の世相を反映する一つの指標として使われることが多い。
2009年(平成21年)は、いわゆる「漢検協会事件」が発生し、同協会の理事長とその息子の副理事長が同役職を辞任して、その後逮捕される不祥事が起こり、森貫主は協会理事を辞任した上で、「今年の漢字」企画への協力を拒否する可能性を示唆したが、新体制の発足に伴って姿勢を軟化させ、同年も前例通りに、清水寺で森による揮毫が行われた。
また、近年では発表直前の12月上旬に、一部のニュース番組やワイドショーなどのマスメディアにおいて、いわゆる「10大ニュース」的な当年のニュース回顧を兼ねて「今年の漢字」の予想を行ったり、この年話題になった芸能人や著名人に対し、その人にとっての「今年の漢字」がインタビューされることが恒例になりつつある。
なお「今年の漢字」は、日本漢字能力検定協会によって商標登録されている(第5247080号)。
【補足】

森清範貫主による「今年の漢字」の揮毫

京都・清水寺の森清範貫主による「今年の漢字」の揮毫(直筆書)は、「京都八福庵」という公許取扱処により管理されている。毎年、森が練習なし本番で「今年の漢字」を書く。12月12日の朝に漢検の理事長が「今年の漢字」を書いた紙を封入された茶封筒を森のもとへ持ってくる。封筒には「親展」と書いており、封筒の中に封筒に入った紙が入れられる「二重封筒」である。そのため、外からは見えない。森は開封して中を検めるまで「今年の漢字」を知らない。揮毫に使用する筆は熊野筆で、穂があまり長いと墨が垂れるので書けないし、逆に短いと墨持ちが悪いので、墨持ちを適度に保つために一番真ん中には牛耳毛が入っている。また羊毛のような硬い毛を使用している。
「その年の世相を表す漢字」を決める試みは、他にも行われている。その例として佐竹秀雄武庫川女子大学教授と学生らによる研究がある。1997年の1年間の新聞3紙の朝刊社会面において、短期間に集中的に使われた漢字を抽出したランキングで、1位から順に「油」「少」「海」「殺」「総」「重」という結果になった。「油」「海」「重」はナホトカ号重油流出事故発生後に、「少」は神戸連続児童殺傷事件で少年の逮捕後に、「殺」は神戸連続児童殺傷事件やその他の殺人事件関連で、「総」は総会屋・株主総会関連で目立った。同年の日本漢字能力検定協会による「今年の漢字」とは対照的に金融破綻に関する漢字は上位には登場しなかった。
予想(中日新聞記事)
【一覧】



漢字

読み

選  考  理  由

票数総数
2位
3位
1995年
(平成7年)
シン
ふるう
●兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)発生
●地下鉄サリン事件や金融機関の倒産などによる社会不安の拡大

1996年
(平成8年)
ショク
くう
たべる
●O157による集団食中毒の多発それによる学校給食などへの影響
●税金や福祉を「食いもの」にした汚職事件の多発
●牛海綿状脳症(狂牛病)の発生

1997年
(平成9年)
トウ
たおす
●大型企業の倒産や銀行の破綻山一證券の廃業
●サッカー日本代表が1998 FIFAワールドカップのアジア地区予選で強豪を倒して出場決定

1998年
(平成10年)
ドク●和歌山毒物カレー事件の余波で毒物混入事件が多発
●ダイオキシンなどへの不安の高まり
●当時社会問題となった環境ホルモン

1999年
(平成11年)
マツ
すえ
●1000年代、1900年代、1990年代の最後(世紀末)
●東海村JCO臨界事故発生翌年への「末広がり」の期待を込めて

2000年
(平成12年)
キン
コン
かね
かな
●シドニーオリンピックで女子フルマラソン高橋尚子、女子柔道田村亮子が金メダル
●金大中と金正日による初の南北首脳会談
●長寿姉妹のきんさんぎんさんの成田きんが逝去
●二千円紙幣誕生

2001年
(平成13年)
セン
いくさ
●アメリカ同時多発テロ事件発生
●対テロ戦争
●アメリカのアフガニスタン侵攻が始まる
2285
36097

2002年
(平成14年)

かえす
かえる
●初の日朝首脳会談により北朝鮮に拉致された日本人が日本に帰国
●日本経済がバブル期より以前の水準に戻る
●昔の歌などのリバイバルヒット
 3518
60144

2003年
(平成15年)

とら
●阪神タイガースが18年ぶりにリーグ優勝
●イラク戦争の勃発
●「虎の尾を踏む」ような自衛隊イラク派遣
17709
87410

2004年
(平成16年)
サイ
わざわい
●新潟県中越地震発生
●新潟・福島豪雨、福井豪雨
●台風23号をはじめとする台風の連続上陸
●浅間山の噴火
●美浜発電所の事故や三菱リコール隠し
20936
91630

2005年
(平成17年)
アイ
いとしい
●愛知県で愛・地球博の開催
●紀宮清子内親王と黒田慶樹が結婚
●卓球の福原愛の中華人民共和国での活躍
●「あいちゃん」という愛称の女性の活躍が目立った
●親が子を子が親を殺すなど「愛の無い事件」が目立った
4019
85322

2006年
(平成18年)
メイ
ミョウ
いのち
みこと
●悠仁親王の誕生
●小学生、中学生の自殺多発
●北朝鮮の核実験
●臓器移植事件、医師不足などによる命の不安
8363
92509

2007年
(平成19年)

いつわる
にせ
●不二家をはじめ「白い恋人」や「赤福餅」など食品表示偽装が次々と表面化
●年金記録問題の発覚
●防衛省の汚職事件の発覚
●テレビ番組『発掘!あるある大事典II』による捏造問題
16550
90816

2008年
(平成20年)
ヘン
かわる
かえる
●日本の内閣総理大臣交代やアメリカのオバマ次期大統領の「チェンジ(変革)」
●株価暴落や円高ドル安などの経済の変化
●食の安全性に対する意識の変化
●世界的規模の気象異変による地球温暖化問題の深刻化
●スポーツや科学の分野での日本人の活躍に表れた時代の変化
●政治、経済をはじめ、よくも悪くも変化の多かった一年を象徴する
6031
111208

2009年
(平成21年)
シン
あたらしい
●自由民主党と公明党に替わる民主党を中心とした鳩山由紀夫新政権発足
●アメリカのバラク・オバマ新大統領就任など、政治の一新に加え
 裁判員制度や高速道路料金割り引きなど様々な新制度が施行された
●新型インフルエンザの流行
●スピード社の高速水着による競泳の世界新記録ラッシュ
●イチローの9年連続200本安打の新記録などの世相を反映
14093
161305

2010年
(平成22年)
ショ
あつい
●観測史上1位の猛暑や非常に厳しかった残暑により熱中症にかかる人が多発し
 これに伴い野菜価格が高騰し熊なども人里に出没
 また地中の「暑い」中から作業員全員が生還したコピアポ鉱山落盤事故
●1万℃の突入温度から帰還した「はやぶさ」なども反映
14537
285406

2011年
(平成23年)
ハン
バン
きずな
ほだす
●東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)
●台風などによる大雨被害(平成23年7月新潟・福島豪雨、台風12号等)
●ニュージーランド地震、タイ洪水などといった国内外で発生した自然災害などにより
 家族や友といった身近でかけがえのない人物に対する絆を改めて感じたりチームワー
 クと信頼で2011 FIFA女子ワールドカップに優勝したサッカー日本女子代表(なでし
 こジャパン)の姿などに感動し、勇気を得たりしたことなど多くの日本人が絆の大切
 さを改めて感じた一年であったため
61453
496997

2012年
(平成24年)
キン
コン
かね
かな
●自立式電波塔として世界一の高さとなった東京スカイツリーの開業
●ロンドンオリンピックでの過去最多のメダルラッシュ
●山中伸弥(京都大学教授)のノーベル賞受賞など数々の「金字塔」が打ち立てられた
●他にも932年ぶりに全国的に観測された金環日食や21世紀最後の金星の太陽面通過
 といった「金」に関係する天文現象や消費税や生活保護など「金」が関わる問題の
 多発など「金」は2000年にも選出されており初めて複数回選出された漢字になった
9156
258912

2013年
(平成25年)
リン
●2020年夏季五輪の東京招致成功
●プロ野球の東北楽天ゴールデンイーグルスの日本選手権シリーズの初制覇により東北
 地方に歓喜の輪が作られた事
●更に平成25年台風第26号による伊豆大島災害や平成25年台風第30号によるレイテ島
(フィリピン)災害に対する日本各地並びに世界各国からの支援の輪が広がった
9518
170290

2014年
(平成26年)
ゼイ
セイ
みつぎ
●17年ぶりの消費税増税とそれに伴い生活環境が大きく変化したことを反映
 森貫主は「国民の多くが税に厳しい目を持っているということではないか」と話して
 いる
8679
167613

2015年
(平成27年)
アン
やす
さだ
●安倍内閣による安全保障関連法の成立が注目を集めたこと
●韓国人による靖国神社爆発テロ事件や旭化成によるマンション傾斜問題など住環境や
 暮らしに対する不安
●イスラム国による日本人拘束事件やパリ同時多発テロ事件を受けて世界に安らぎと
 平安を願う思い
●TPPに伴う食の安全への関心の高まり
●お笑い芸人・とにかく明るい安村のギャグ「安心して下さい、穿いてますよ」の流行
5632
129647

2016年
(平成28年)
キン
コン
かね
かな
●リオデジャネイロオリンピックでの金メダルラッシュ
●MLB・イチローの通算3000安打達成
●レスリング・伊調馨の五輪4連覇など数々の金字塔
●舛添要一前東京都知事の政治資金私的流用
●豊洲市場移転延期や東京オリンピック会場見直しなどの東京都の財政や税金運用
●「政治とカネ」にまつわる問題が顕著になった
●日本銀行によるマイナス金利などの金融政策
●金髪でお金持ちの不動産王・ドナルド・トランプがアメリカ大統領選挙に当選
●YouTubeで「PPAP」の動画が世界的に大ヒットしたピコ太郎の衣装が全身金色
●「金」は2012年以来4年ぶり3回目の選出となった
 6655
153562


熟語

複数の語や形態素が比較的強く結びつき、独立したまとまりをなす表現を指す用語である。この用語は文脈によって定義付けが少しずつ異なる。
慣用表現としての熟語
複数の語がなすある種の固定的な表現を「熟語」とみなす立場がある。この立場において「破竹の勢い」「満を持す」などの成句的な連語は、しばしば「熟語」という用語で総称されることがある。言語学において同様の概念をイディオム(idiom)と称し、特に英語におけるイディオムを俗に英熟語と呼ぶこともある。ただ、熟語という用語はこのほかにも様々な意味を包含する曖昧な概念であるので、日本言語学会と日本英語学会は、学術用語としての“idiom”を一律に慣用句と訳している。
俚諺や格言としての熟語
熟語の原義は「こなれた(熟)、ことば(語)」であり、漢字圏において頻用される格言などを意味することもある。特に中国語で熟語(拼音: shúyǔ)といった場合、以下のような表現を総括する用語とされる。
「矛盾」「破天荒」「臥薪嘗胆」など、故事と呼ばれる古典から引用される短い表現。成語(せいご、拼音: chéngyǔ)と称される。中国語だけではなく、日本語にも流入した表現が多い。成語の大部分は漢字4字で構成される。
「騎驢看唱本、走著瞧」(ロバの上で歌の本を読む、成り行きを見守る)など、前の句と後の句からなる一種のしゃれ言葉。歇後語(けつごご)(拼音: xiēhòuyǔ)と称される。上述の例の場合、「看」と「瞧」をかけている。「塞翁失馬、因禍得福」(塞翁が馬、災い転じて福と成す)のように故事に由来するものは、上記の成語と重なる。日本語には馴染みないものがほとんどであるが、「井の中の蛙、大海知らず」「兎の逆立ち、耳が痛い」のように歇後語の影響を受けたと考えられる表現も散見される。その他雑多な諺は「諺語」(拼音: yànyǔ)「俗語」(拼音: súyǔ)などと称される。
複合語としての熟語&br複数の語が結合して、1つの語となったものを熟語と称することもある。「うみかぜ」「月明かり」「年忘れ」などの語がこれに該当するが、通常これらは複合語(compound)と呼ばれることが多い。
漢字と熟語
熟語の意味を、2字以上の漢字が強く結びつき、1つの漢語となっているものに限定する立場もある。例えば「鉛筆」という語は、「鉛」と「筆」の2つの漢字からなる熟語であるとみなされる。なお、漢字同士の結びつきが弱い場合は熟語とみなさない立場もある。この立場によれば、例えば「経済」「政策」はどちらも熟語とみなせるが、これらを複合させた「経済政策」という語は、熟語とはみなさないという。
四字熟語
漢字4字で構成される表現を四字熟語と称することもある。この用語の意味する範囲は文脈によってまちまちであるが、試験などで問われる狭い意味での四字熟語は、「臥薪嘗胆」のような4字の故事成語や、「色即是空」のような4字の仏教語に限定されるという。


よく使われる四字熟語

熟   語(じゅくご)意                     味
悪戦苦闘(あくせんくとう)つよい敵との戦いで苦しんで闘うように、困難な状況で苦しいながらに努力すること
暗中模索(あんちゅうもさく)暗闇みで物を探すかのような、先の分からない状態の中なかでも試行錯誤すること
意気投合(いきとうごう)複数の人の気持や意見が一致して、気持が一つになること
異口同音(いくどうおん)大勢の人がそれぞれ同じ意見を言うことあるいは、大勢の人が言い方は違えど同じ意味の事を言うこと
以心伝心(いしんでんしん)お互いに言葉に出して言わなくても気持ちが通じること
一意専心(いちいせんしん)一つのことに深く取組み、専門性を高めたり、専念すること
一期一会(いちごいちえ)だれに対する出会であっても、人生において何らかの意味を持つという意味
一日千秋(いちじつせんしゅう)待望むことによって,まるで一日が千年の長さにも感じられるほどの気持
一念発起(いちねんほっき)気持を奮い起して決意すること
一部始終(いちぶしじゅう)最初から最後までの全部のこと
一網打尽(いちもうだじん)一度の投網ですべての魚を取尽してしまうように、悪いことをした人などを一度につかまえること
一喜一憂(いっきいちゆう)目の前に起る様々な出来事にとらわれ、いちいち喜んだり悲しんだりすること
一騎当千(いっきとうせん)たった一人でも、千人の働きに値するほどの強さや能力をもつこと
一挙一動(いっきょいちどう)手を挙げるといったような、小さな動きのこと
一挙両得(いっきょりょうとく)一つのことで二つ以上の得のあること
一刻千金(いっこくせんきん)極わずかな時間でも価値は高く、おおくのお金と同じように貴重なこと
一触即発(いっしょくそくはつ)わずかな出来事をきっかけに、事態が急激に悪化してしまいそうな緊迫した状態
一心同体(いっしんどうたい)心を一つにして、ともに同じように動く間がら や、ともに同じような影響を受うける間がら
一心不乱(いっしんふらん)心を乱さず、集中して物事に取組むこと
一世一代(いっせいちだい)一生に一度あるかないかの大きな出来事やチャンスのこと
一石二鳥(いっせきにちょう)たった一回の行動や、あるいはわずかな行動や努力によって、二つ以上のよい効果が得られること
一朝一夕(いっちょういっせき)一日や半日、朝から夕程度ていどの、短い期間のこと
一長一短(いっちょういったん)物事には良い面と、悪い面の両方をあわせもつということ
一刀両断(いっとうりょうだん)敵対する意見や攻撃を、一度の思い切きった行動や言動によって大きく好転させること
意味深長(いみしんちょう)深い意味が込められた言い方
因果応報(いんがおうほう)発した言動や行動よって生じた結果は、善し悪しにかかわらず最終的に本人に返ってくるということ
右往左往(うおうさおう)右に行ったり左に行ったりしてうろうろとする、または考えや言動がまとまらないこと
傍目八目(おかめはちもく)主観的に感じる状況では,利害等の影響によって正しく状況をつかむことができなくても、第三者は利害等の影響を受うけないことから状況を正しく判断しやすいこと
温故知新(おんこちしん)古い物事や考え方であっても現代に利用方法を工夫することで、逆に新しさに気付いたり感じたりすること
悪口雑言(あっこうぞうごん)悪口をさまざまに言うこと、またその言葉
意気消沈(いきしょうちん)気分が落ち込んだり、意欲を無なくすこと
意気揚揚(いきようよう)気持が明るく高ぶる、エネルギッシュな気持
一衣帯水(いちいたいすい)一本の帯のように細く長く水をたたえている様子、そのような水を挟んで近くにいること
一言居士(いちげんこじ)まるで学徳のある人が、発言するかのように、自分の意見を抑えることができずに、つい一言を発してしまう人
一言半句(いちごんはんく)一言も、あるいは一言にも満みたないようなわずかな言葉
一字千金(いちじせんきん)たった一文字であっても千金に値するような、価値の高い文や書
一望千里(いちぼうせんり)状況を一目で見渡したり、状況の先を見通す能力
一目瞭然(いちもくりょうぜん)一目見るだけで、だれの目にも状況が判然としていること
一問一答(いちもんいっとう)一つの問いに、一つ答えること
一利一害(いちりいちがい)一つの事象に利害が同時に存在すること
一攫千金(いっかくせんきん)わずかな働きや努力によって大金をつかんだり、たくさん利益を得えること
一切合切(いっさいがっさい)あらゆるすべてのこと
一所懸命(いっしょけんめい)一つのことに力を注ぎ努力、行動すること
一知半解(いっちはんかい)一部だけを知っていて十分解っていないような、中途半端な理解
一得一失(いっとくいっしつ)一つの事を得えても、一つの事を失ってしまうような状態のこと
威風堂々(いふうどうどう)威厳や風格があり正々堂々としている様子
有象無象(うぞうむぞう)とるに足たらない人々と、雑多なつまらない連中
海千山千(うみせんやません)海に千年、山に千年住すんだ蛇は、竜になるという伝説に例え、様々な経験を長く積むことで、世の中の裏も表も知り尽し悪賢くなった人
紆余曲折(うよきょくせつ)物事が一直線に進まず、様々な経過をたどること
雲散霧消(うんさんむしょう)雲や霧が消えたように、心配事がなくなること
栄枯盛衰(えいこせいすい)非常に栄えた者であっても、いずれ衰ろえること
花鳥風月(かちょうふうげつ)花や鳥を見て楽しみ、風や月の絵や詩を作つくるように、自然の景色を題材として絵や詩を創作して楽しむこと
我田引水(がでんいんすい)自分のしたいようにわがままを押通す様子
画竜点睛(がりょうてんせい)絵の竜に瞳を描きいれたら天に昇ったという伝説に例え、最後にほんの少し大切な仕上をすることで、見違えるように立派に仕上ること
完全無欠(かんぜんむけつ)まったく不備がなく、完全な状態
危機一髪(ききいっぱつ)危険が迫っている状態を回避した際に、ほんのわずかな違いで危険をまぬがれることができた状態
起死回生(きしかいせい)死しにそうなほどの不利な状態から、生き返かえったと思えるほど、よい方向に立て直すことができた状態
起承転結(きしょうてんけつ)文や物事の流れにとって、事のきっかけから、展開して、結果、結論にたどり着くまでの過程のこと
疑心暗鬼(ぎしんあんき)心の中に疑う気持があると、何でもないことでも信しんじられなくなること
奇想天外(きそうてんがい)実際の世の中には存在しないような、普通では思いつかないほどの奇抜な考えや思うこと
喜怒哀楽(きどあいらく)喜や怒、悲しみや楽しみというような、様々な人間のもつ感情
牛飲馬食(ぎゅういんばしょく)まるで牛や馬のように、たくさん飲んだり食べたりすること
急転直下(きゅうてんちょっか)事態の変化が平坦な状態から、急激に変化すること
玉石混淆(ぎょくせきこんこう)優れたものが、優れてないものあるいは、ありふれた普通のものの中に混まざっていること
空前絶後(くうぜんぜつご)過去に例がなく、これからも絶対に起りえないであろう事象
巧言令色(こうげんれいしょく)相手に気に入られようと、口先だけでうまいことを言いい、うわべだけ良い顔をすること
公平無私(こうへいむし)私情を入れることなく、公平に判断すること
公明正大(こうめいせいだい)人々にかくしごとをせず、公平で、不正が無なく、言動が正しく、堂々とている様子
呉越同舟(ごえつどうしゅう)極めて仲の悪い者同士が、同じ場所に居合いあわせること、あるいは、利害が合うとわかれば、ときには協力し合う様子
五里霧中(ごりむちゅう)状況が全く把握できない状態や、どのように行動して良よいかわからない状態
言語道断(ごんごどうだん)言葉で語れないほどにひどいこと
臥薪嘗胆(がしんしょうたん)苦労に苦労を重ね、耐えに耐えて目的を果すこと
夏炉冬扇(かろとうせん)季節れで役に立たないこと
感慨無量(かんがいむりょう)心に深くしみて計り知れないような、言葉で表現できないしみじみした気持きもちがあふれる様子
緩急自在(かんきゅうじざい)遅さ速さや強弱なども思うがままにコントロールできること
勧善懲悪(かんぜんちょうあく)善いことを勧め、悪を懲らしめること
喜色満面(きしょくまんめん)うれしい気持や喜びを、顔いっぱいに表現すること
共存共栄(きょうそんきょうえい)いくつかのものが共に存在して、共に栄えること
興味津津(きょうみしんしん)興味が次々にあふれ出るような気持になる様子
金科玉条(きんかぎょくじょう)重要な規則や法律、または、よりどころとなるルール
苦心惨憺(くしんさんたん)なげかわしいほどの苦労を重ねること
言行一致(げんこういっち)言いうことと行いが一致していること
捲土重来(けんどじゅうらい)一度の失敗があっても、勢いきおいを盛返えしてやり直すこと
厚顔無恥(こうがんむち)あつかましく、恥はずべき姿勢が全まったく感じられない様子
広大無辺(こうだいむへん)果しなく、広く、大きい様子
孤軍奮闘(こぐんふんとう)支援のない孤立した一人または少人数が、力の限かぎり努力したり闘うこと
古今東西(ここんとうざい)今も昔むかしも時代によらず、また場所の違ちがいにもよらず、いつでもどこでも不変の事柄
虎視眈眈(こしたんたん)全くすきのない計画性や態度によって好機をうかがっている様子
五臓六腑(ごぞうろっぷ)腹の中の様々な臓器や、体のすみずみにまで及ぶ範囲
小春日和(こはるびより)秋の和やかな春のような日のこと
五風十雨(ごふうじゅうう)五日に一度風が吹ふき、十日に一度雨が降ふるというような、農作にとってよい天気、または、世の中が無事平穏である状態
五分五分(ごぶごぶ)二つの勢力が、ちょうど同じくらいの力で差がない状態
孤立無援(こりつむえん)孤立して応援がない状態、頼れる人がいなくて一人だけの状態
三寒四温(さんかんしおん)秋から春にかけて、寒い日が三日、暖い日が四日というように、徐々にあたたかくなる様子
自画自賛(じがじさん)自分の事あるいは作品などを、自分で褒めたたえること
自給自足(じきゅうじそく)自分で食たり使用したりするものは、すべて他人の手を借りずに自分で作ったり調達すること
四苦八苦(しくはっく)何重もの苦労が重かさなってとても苦くるしんでいる様子
試行錯誤(しこうさくご)何度も試めしたり改善することを重ねて、うまくいく方向ほうこうに努力どりょくすること
自業自得(じごうじとく)自分自身で行った悪行によって、結果的に自分自身が不利な状況に返ってくること
七転八倒(しちてんばっとう)転げまわり、起きあがれないほど、もがき苦しむこと
四面楚歌(しめんそか)周まをすべて敵に囲まれた状態のこと
弱肉強食(じゃくにくきょうしょく)弱いものは強いものに食べられる自然の摂理、または、強ければ勝かつし、弱ければ負まける勝負の道理
終始一貫(しゅうしいっかん)始まりから終わりまで、ぶれなく徹底すること
自由自在(じゆうじざい)制限が無く自分の思うとおりにできること、あるいは自分の思おもうままにコントロールできること
十人十色(じゅうにんといろ)人の考え方や趣味趣向が、人それぞれ大きくあるいは微妙な違いがあること
取捨選択(しゅしゃせんたく)数多くある物事の中から、不要な物を除き必要なものだけを選えらびとること
順風満帆(じゅんぷうまんぱん)自分の意図した方向に自然と流れができ、順調にものごとが良い方向に運ぶ様子
枝葉末節(しようまっせつ)木の枝葉のようにどちらでもよい部分のこと
心機一転(しんきいってん)気持が良い方向に切り替わること
針小棒大(しんしょうぼうだい)とるに足たらない小さな事を、あたかも重要じゅうようで大きな事のように、おおげさに話すこと
森羅万象(しんらばんしょう)宇宙や大自然の中に存在する、ありとあらゆる全ての現象や原理原則
晴耕雨読(せいこううどく)晴れた日には畑を耕がやし、雨の日には本を読むというような、自分の意志で決めた生活せいかつスタイル
青天白日(せいてんはくじ)雲一つない晴渡った天気、または、心に後ろめたいことがなく、身が潔白であること
絶体絶命(ぜったいぜつめい)ピンチに追いやられ窮地に立たされた困難な状態
千載一遇(せんざいいちぐう)千年に一度しか遭遇できないような、まれな好機のこと
千差万別(せんさばんべつ)人や物事の差が多くあったり,違いがとても多くある状態
前代未聞(ぜんだいみもん)過去に聞いたことがないような、めずらしい話
再三再四(さいさんさいし)何度も何度も繰り返えされること
才色兼備(さいしょくけんび)美しさと才能の両方をあわせもっている女性のこと
三拝九拝(さんぱいきゅうはい)何度も何度もお辞儀してたのむこと
七転八起(しちてんはっき)何度失敗してもそのたび起きあがり、あきらめない様
質実剛健(しつじつごうけん)内面についての本質的な部分が、強くさらに健全であること
自問自答(じもんじとう)自分自身に問といかけ、自分自身で答えを模索すること
縦横無尽(じゅうおうむじん)主に平面上の既成にとらわれず縦にも横にも、制限が無ない状態
主客転倒(しゅかくてんとう)まるで主と客の立場がさかさまになるような、物事の秩序を取り違ちがえること
盛者必衰(しょうじゃひっすい)かつて非常に栄えた者であっても、いずれは必かならず衰えるということ
正真正銘(しょうしんしょうめい)物事や道理などが、本物、または真実であること
支離滅裂(しりめつれつ)まったく、まとまりがなくとりとめのない様子ようす、本質がとらえられていない様子
神出鬼没(しんしゅつきぼつ)自由な行動で、いろいろなところに突然とつぜん出没するので居場所がどこか分かりにくい様子
深謀遠慮(しんぼうえんりょ)遠い先のことまで思慮深く、ぬかりなく画策すること
誠心誠意(せいしんせいい)まごころのこもった誠実な態度
正々堂々(せいせいどうどう)行動や言動が常に正しく、その結果威厳がともなっている状態
切磋琢磨(せっさたくま)学問や技などをライバル同士が互いに磨き努力して向上していくこと
千客万来(せんきゃくばんらい)お店などに絶え間なく、大勢の客が来ること
前後不覚(ぜんごふかく)物事の前後も覚えていられなくなるくらい、意識がなくなること
前人未到(ぜんじんみとう)以前に誰も到達していない場所、境地や記録
前途洋々(ぜんとようよう)将来に明い未来が開け、希望があふれ広がる様子
千変万化(せんぺんばんか)多種多様に変ったり、化けたりするような変化
大器晩成(たいきばんせい)優れた才能の備った人は年をとってから成功すること、または年をとることで磨かれ器の大きい人間になること
大胆不敵(だいたんふてき)度胸があり、敵を敵とも思わないような、何事にもおそれず動じない様
大同小異(だいどうしょうい)小さな違ちがいがあったとしても、方向性や言いたいことは大すじで同じということ
単刀直入(たんとうちょくにゅう)回りくどい前置きなく、ストレートに本題にはいること
朝令暮改(ちょうれいぼかい)朝に決めた事が夕暮には、もう改ためられているというように、二転三転してなかなか定さだまらないこと
適材適所(てきざいてきしょ)その人のもつ才能や適性に、ぴったりあった仕事や役割につかせること
電光石火(でんこうせっか)稲光や火打石を使って出す火のように、瞬間的な動作が極めてはやいこと
天変地異(てんぺんちい)暴風や雷、地震や噴火などのように、自然界に起る災害が普通のレベルではなく異常と感かんじられる環境異変のこと
東奔西走(とうほんせいそう)目的もくてきがあって東から西、西から東にあちこち走りまわるほどのいそがしい様子
独立独歩(どくりつどっぽ)自分の足で立って自分の足で歩くように、自分一人の力で実行すること
大願成就(たいがんじょうじゅ)大きな願いが叶うこと
大器小用(たいきしょうよう)たいへん優れた才能や能力のある人に、ちょっとした簡単な用事をさせること、また、人材を適した仕事や地位に用いないこと
大義名分(たいぎめいぶん)重要な行動を起こす際、誰もが正しいと思おもう道義や理由
大言壮語(たいげんそうご)大きなことや偉らそうな言葉を言うように、自分の力に合わない大きなことを言うこと
泰然自若(たいぜんじじゃく)ゆったりと落着ついていて、どんなことにも動じない自然体
多事多難(たじたなん)多くの事件や事故などがあったり、多くの難題や困難があること
多種多様(たしゅたよう)種類しゅるいが多おおく様式ようしきもさまざまな様子ようす
昼夜兼行(ちゅうやけんこう)昼も夜も通して休まずに仕事などをすること
朝三暮四(ちょうさんぼし)目先の損得に気を取られ、損も得もしない全まったく同じ結果であることに気づかないこと、また、うまい言葉で人をだますこと
猪突猛進(ちょとつもうしん)猪が猛然と突進むように、状況を考えずに猛烈な勢いで物事をすること
沈思黙考(ちんしもっこう)沈黙して深く考えること
津津浦浦(つつうらう)国じゅうの町や村などありとあらゆるすべてのところ
徹頭徹尾(てっとうてつび)最初から最後まで、徹底し一貫していること
手前勝手(てまえがって)自分にとって都合のよい振舞をきままにすること
天衣無縫(てんいむほう)飾り気のない自然な姿が、純粋な美しさを表わしている様子
天下無双(てんかむそう)この世の中に、二つとない、また、並ぶものがないほどの優すぐれたもの
天真爛漫(てんしんらんまん)純粋な心がそのままあらわれて無邪気な様子
同工異曲(どうこういきょく)作り方や手法は同じでも、作られた物が異ことなること、反対に外見が違っていても中身がほぼ同じになること
同床異夢(どうしょういむ)同じ場所にいながら、違う考えや夢を持つこと
得意満面(とくいまんめん)自分の思うようになり、顔いっぱいに満足そうな気持があふれること
独断専行(どくだんせんこう)自分一人が判断し、自分一人が思いのままに物事を進めること
二束三文(にそくさんも)量がたくさんあっても、売ればとても安い値段になってしまうこと
日進月歩(にっしんげっぽ)技術や人などが日を追うごとに進歩、成長していくこと
馬耳東風(ばじとうふう)人の忠告などを気にもせずに、反省もせず、聞き流ながす様子
八方美人(はっぽうびじん)誰からにでもよく思われようと、誰に対しても良い顔をする人
波瀾万丈(はらんばんじょう)人の人生などで、状況の善し悪しの起伏が激しく変化に富とんだ様子
半信半疑(はんしんはんぎ)すべてを信しんじてしまうこともできず、かといってすべて嘘として疑うこともない状態
百発百中(ひゃっぱつひゃくちゅう)予定した内容のすべてが、当ること
不言実行(ふげんじっこう)言葉で告げずに、実行しやり遂げること、また、だまってやるべきことをやること
不眠不休(ふみんふきゅう)物事や役割などを、全く休まず持続して実行すること
付和雷同(ふわらいどう)自分のもつべき考えがなく、他人の発する大きい声に考えもなく同調すること
平身低頭(へいしんていとう)身を平らにし、頭を低く下げて、謝っている状態
傍若無人(ぼうじゃくぶじん)かたわらに人など全まったくいないかのような、好き勝手な振舞いをする様子
内憂外患(ないゆうがいかん)国内の心配と、外国との間の心配というように、国内外両方に心配事がある状態
難行苦行(なんぎょうくぎょう)難しいことや、苦しいことを行って、訓練して心身をみがくこと
南船北馬(なんせんほくば)南には船に乗って行き、北には馬に乗って行くように、忙いそがしく旅をすること
二者択一(にしゃたくいつ)二つの選択肢の中から一つに決めること
破顔一笑(はがんいっしょう)顔をほころばせて、にこやかに笑うこと
白砂青松(はくしゃせいしょう)白い砂浜と青々とした松の林のように、美くしい海辺の風景
半死半生(はんしはんじょう)生きているのと死しんでいることの間にある状態、または、思う存分に自由にできる状態じょうたいでなくかといって全く自由を奪うばわれている状態でもない
百戦錬磨(ひゃくせんれんま)たくさんの場数ばかずをふむことで、多おおくの経験、知識、修練を積んで強くなること
百花繚乱(ひゃっかりょうらん)多くの花が咲き乱れるように、優れた業績や人物が同じ場所や、同時期に多数居合あわせ互いに輝きを放はなつこと
表裏一体(ひょうりいったい)一つの物事には表と裏があるように、両方ともそのものであってはずせないこと
疲労困憊(ひろうこんぱい)疲れ果て、困り果てた様子
品行方正(ひんこうほうせい)誠実で正しい行ができ、さらに品があること
風光明媚(ふうこうめいび)自然の景色が清らかで美しいこと
不即不離(ふそくふり)つかず、離はなれずという微妙な距離感を保つこと
不老不死(ふろうふし)老いず、死なないような、永遠の命
粉骨砕身(ふんこつさいしん)身を砕き、骨を粉にするような努力
平穏無事(へいおんぶじ)穏やかで変ったことがないような、落着いた状態
変幻自在(へんげんじざい)消えたり、現われたり、あるいは自由に容姿を変えたりできるような状態
暴飲暴食(ぼういんぼうしょく)食べ過ぎたり飲み過ぎたり、限度をこえて飲食すること
抱腹絶倒(ほうふくぜっとう)腹を抱えて倒れるほど、大笑いすること
本末転倒(ほんまつてんとう)本当に大事なことと、どちらでもいい物事の末端のことを取り違ちがえること
無我夢中(むがむちゅう)我を忘れて、必死に何かに取組くむ様子
優柔不断(ゆうじゅうふだん)決断する力がなく、決断しなければならない時に、なかなか決められないこと
有名無実(ゆうめいむじつ)名前だけ有名で中身はともなっていない状態
油断大敵(ゆだんたいてき)油断して気を抜ぬいていると、大きな間違いにつながるということ
用意周到(よういしゅうとう)準備や気持が周りに行き届いている状態
竜頭蛇尾(りゅうとうだび)初はじめは竜の勢いが、最後には蛇のように、だんだん勢いがなくなること、尻すぼみな状態
臨機応変(りんきおうへん)その時その時に応じてその場に、ふさわしい行動や変更をすること
老若男女(ろうにゃくなんにょ)老いも若きも、男性も、女性もというように分け隔てなく
満場一致(まんじょういっち)その場にいる全員の意見が一致すること
満身創痍(まんしんそうい)体中ひどく傷ついて、手ひどく痛めつけられた状態
無為無策(むいむさく)何の計画もなく画策もない様、また、何のためにもならず何もしないでいること
無病息災(むびょうそくさい)病気もなく、災いもなく、健康で良好な状態
無味乾燥(むみかんそう)味覚、話、作品などについて、味気がなくまた潤いもなくつまらないこと
明鏡止水(めいきょうしすい)鏡ように輝く水面のように、心が落着ついてすみ渡わたっている状態
明々白々(めいめいはくはく)疑う余地が、まったくないように、はっきりとしていること
名誉挽回(めいよばんかい)失うしなった名誉をもう一度取戻すために、優れた評価を回復させること
面目躍如(めんぼくやくじょ)世間に優れた評価をされる働きをして、生き生きとその人本来の力を発揮している様子
門外不出(もんがいふしゅつ)貴重な物などを、人に見せたり貸かしたりせずに大切にしまっておくこと
唯我独尊(ゆいがどくそん)ただ、自分一人だけが尊いというような、ひとりよがりにうぬぼれること
優勝劣敗(ゆうしょうれっぱい)優れたものが勝ち、劣っているものが負けるような自然界の道理
勇猛果敢(ゆうもうかかん)勇しくおそれずに、思い切って行動すること
悠々自適(ゆうゆうじてき)自分以外のことに煩らわされず、自分の思おもうままに生活すること
羊頭狗肉(ようとうくにく)羊の頭を看板に出し、犬の肉を売るように、外見だけ良よく見せ中身はよくないこと
利害得失(りがいとくしつ)利益を得えたり、損害があったりすること
離合集散(りごうしゅうさん)離れたり、合わさったり、集ったり、散ったりする様子
立身出世(りっしんしゅっせ)身を立て世に出るように、社会的な地位と名誉を手に入れること
粒々辛苦(りゅうりゅうしんく)つらい思いや苦しい思いを重ねて、穀物の粒つぶをつくるように、苦労を重かさね努力をして成功につなげること
理路整然(りろせいぜん)物事や話が、誰の目にも筋道が通っていて整っている様子
和気藹々(わきあいあい)複数の人が、仲良く和やかな気が満ちている様子

【参照】⇒ 中国の故事名言

                         つかれたあ~ つかれた!
助数詞
ものを数えるとき、日本語では数だけを使うのではなく、数の後ろに(ことば)を付けて表現します。日本語:英語を対比して例示すると

日本語英 語説       明
犬を二飼っていますI have two dogs日本語:小さくて可愛い犬
英 語:two dogs
犬を二飼っていますI have two big dogs日本語:大きくたくましい犬
英 語:two big dogs
助数詞(匹・頭)は数えるものの様子まで伝える形容詞(big)が必要である
助数詞と似たものに「単位(尺・m)」がありますが、基本的には別物です。

助数詞には巧みな離れ業があり、数えるものが出てこなくても、何を数えているのが判ります。日本語の助数詞は約500種類ですが、日常生活で使うのは約120種類程度です。
大和言葉の数の読み方には、「ひ・ふ・み・よ・いつ・む・なな・や・ここの・とお」「いち・に・さん・し・ご・ろく・しち・はち・きゅう・じゅう」などがあります。
以下、例示して説明します。(東邦出版発行『日本の助数詞に親しむ』より引用・転載させていただきました)

区分助  数  詞  の  使  い  方
日常使用比喩・雅語・擬人・慣用的な表現専門用語
(にん):基本的な数え方(一人(ひとり)二人(ふたり)三人(さんにん)
(めい):名簿などの範囲の中の数え方
(しゃ):ある場面・役割での数え方
(ひき):荒くれ者を数える(「男一匹」)
男一匹
():尊厳を強調する数え方(「一個の人間」)
親等(しんとう):戸籍上の続柄(一親等:親子 二親等:兄弟・祖父母)
():親から見た子供の数(一児・二児)
():生まれた順番(第一子・第二子)


男・女(なん・じょ):男女に分ける(一男二女)
一男二女
(せい):家族の連続(日系三世)
(だい):主として地位や役職に留まっている期間(五代目親方)
集団(いん):集団や組織に所属(救助隊の一員)
(じん):軍勢を数える(第一陣が到着)
(ぐん):チームを数える(一軍チーム)
():人の集団を波に例える(デモ隊の一波)
神仏(はしら):神仏・霊・位牌を数える
「柱」=「木」+「主」で敬意・畏怖の念を込めて
魚貝(ひき):生きている魚
():基本は尾びれの付いた魚(十尾釣った)
(ほん):水揚げされた大魚(カツ一本)
(まい):干しものにする(スルメ一枚)
(くし):焼いて串に刺さったもの(ひと串)
竿(さお):串刺ししたウルメの丸干し(ふた竿)
(れん):串刺しのまとまり(一連)
切れ(きれ):切り分けると(ひと切れ)
(だん):ウナギの切り身を重ねて敷き並べる(一段重)
パック:スーパーなどでパックされたもの(一パック)
(つぶ):比較的小さめの貝(アサリ一粒)
(へん):貝殻のかけら(一片)
(こん):古い数え方(一喉の魚)
(りん):金魚や錦鯉(金魚一鱗)
(そく):大量に獲れる小魚をひとくくり(一束)
(とう):尾頭付きの大魚(マグロ一頭)
樗蒲(ちょぼ):博打のサイの目合計21から、
   シラウオ21匹をまとめ(一樗蒲)
(たま):肉厚で水分が多い(ホタテ貝柱ひと玉)
山川(さん/やま):山を合せて数える(五山に登る)
    山間部の移動(ひと山越え)
峰/峯(ほう/みね):山並み(東山三十六峰)
():そびえ立つ高い山(八千メートル峰十四座)
峰/峯/座
  畏敬を込めて仏様座像(三体座像)
(がく):名山・霊山(四岳)
(ほん):川の基本的表現(一本 二本)
(すじ):小さな川や渓流(小川 雪解け水)
(せん):詩的な表現(一川の流れ)
():慣用句的な表現(一河の流れ)
流れ(ながれ):流れの速さ
河川(かせん):公的文書での表現(六十一河)
海湖(かい):文語的表現(七海)
(は/なみ):波を数える(ひと波 一波)
():沢山の水をたたえる・名勝地(二湖 富士五湖)
(めん):浅い水たまり(一面)
(よう):大きく広がる海(太平洋)
(せん):湧き出る泉(一泉)
(おう):いっぱいに広がった水・池や沼(一泓)
雨雪












風雲









日本文学

古代歌謡
詩吟では漢詩の他に、和歌(短歌)・俳句なども詠いますが、ともに日本の言霊(ことだま)信仰を基に口承文学(古代歌謡:歌体は五音・七音)が誕生し、後に和歌・俳句へと発展していきます。
万葉集 日本人の心の原点ともいうべき、現存する最古の壮大な和歌集







歌の性格
区分名   称内         容

分類
長歌
短歌
旋頭歌(せどうか)
仏足石歌
五・七を繰返し七音。殆どは反歌(短歌)を伴う
五・七・五・七・七の五句(三十一文字)和歌の主流
五・七・七(上三句)五・七・七(下三句)
五・七・五・七・七・七の六句。薬師寺仏足(一首のみ)
三大部立雑歌
相聞(そうもん)
挽歌
宮廷儀礼・旅・自然を詠む公的な歌
男女が互いに交わす恋の歌
死者を悼む歌。葬送の際に歌われた


様式
寄物陳思(きぶつちんし)
正述心緒(せいじゅつしんしょ)
比喩歌(ひゆか)
羈旅歌(きりょか)
東歌(あずまうた)
防人歌(さきもりうた)
想いを天然自然の物象よせて表現した相聞歌
直接的に感情を表現した歌
想いを自然の物象にたよえて表現した歌
旅先での想いを表現した歌。安全祈願の歌もある
東国地方の歌
北九州防衛の東国出身の兵士・家族の歌

第一部:巻一~巻十六 年代順に配し雑歌・相聞歌・挽歌に分類されている
第二部:巻十七~巻二十 大伴家持の記録的な要素が強く、内容分類はない

内   容 ・ 例   歌
第一春過ぎて夏来るらし白栲の衣乾したり天の香具山(持統天皇)
第二鴨山の磐根し枕ける我をかも知らにしと妹は待ちつつあらむ(柿本人麻呂)
第三淡海の海夕波千鳥 汝が鳴けば心もしのに 古思ほゆ(柿本人麻呂)
第四君待つとわが恋ひをればわが屋戸の すだれ動かし秋の風吹く(額田王)
第五世の中は空しきものと知る時しいよよますますかなしかりけり(大伴旅人)
第六み吉野の象山の際の木末には ここだもさわく鳥の声かも(山部赤人)
第七あしひきの山川の瀬の鳴るなへに 弓月が嶽に雲たちわたる(柿本人麻呂)
第八秋の野に咲きたる花を 指折りかき数ふれば 七種の花(山上臣憶良)
第九常世辺に住むべきものを剣刀 己が心から鈍やこの君(高橋虫麻呂)
第十朝顔は朝露負ひて咲くといへど 夕影にこそ咲きまさりけれ(作者未詳)
第十一難波人葦火焚く屋の煤してあれど 己が妻こそ常めづらしき(作者未詳)
第十二茜さす日の暮れゆけばすべをなみ千たび嘆きて恋ひつつぞ居る(作者未詳)
第十三明日香川せぜの玉藻のうちなびき 心は妹に寄りにけるかも(作者未詳)
第十四足柄の御坂畏み曇夜の 吾が下延へを 言出つるかも(作者未詳)
第十五味真野に宿れる君が帰り来む 時の迎へを何時とか待たむ(狭野茅上娘子)
第十六志賀の山いたくな伐りそ荒雄らが よすかの山と見つつ偲はむ(作者未詳)
第十七馬並めていざ打ち行かな渋𧮾の 清き磯廻に寄する波見に(大伴家持)
第十八天皇の御代栄えむと東なる 陸奥山に黄金花咲く(大伴家持)
第十九うらうらに照れる春日に雲雀あがり情け悲しも独りしおもへば(大伴家持)
第二十新しき年の始の初春の 今日降る雪のいや重け吉事(大伴家持)

百人一首 美しい日本の民族遺産
和歌
いわゆる三十一(みそひと)文字(⇒五・七・五・七・七)といわれる形式の歌体

●●●●●○○○○○○○●●●●●○○○○○○○○○○○○○○
発句(上の句)脇句(下の句)

歌枕(うたまくら):特定の連想を促す地名(枕詞(まくらことば)と混同しないこと)
契りきな かたみに袖を しばりつつ 
              末の松山 波越さじとは






歌枕地図
歌枕地図・西南部地方歌枕地図・東北部地方
西南部地方←画像拡大東北部地方←画像拡大
例歌青文字の歌枕は画像表示ができます
末の松山:契りきなかたみに袖をしばりつつ末の松山波越さじとは(清原元輔)
白河の関:都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関(能因法師)
勿来の関:吹く風を勿来の関と思へども道もせに散る山桜かな(源義家 )
姥捨山:わが心なぐさめかねつ更科や姥捨山に照る月を見て(詠み人知らず)
筑波山:筑波嶺の峰より落つるみなの川恋ぞ積もりて淵となりぬる(陽成院)
田子の浦田子の浦にうち出でて見れば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ(山部赤人)
箱根:箱根山双子の山を秋深み明け暮れ風に木の葉散り交ふ(曽根好忠)
小夜の中山:東路の小夜の中山なかなかに何しか人を思い初めけむ(紀友則)
不破の関:人住まぬ不破の関屋の板庇荒れにし後はただ秋の風(藤原良経)
近江の海:夕波千鳥汝が鳴けば情もしのにいにしへ思ほゆ(柿本人麻呂)
伊勢の海伊勢の海の海人の釣縄うちはへて苦しとのみや思ひわたらむ(詠み人知らず)
八橋ら衣つつなれにしましあればるばるきぬるをしぞ思う(在原業平)

古今和歌集

古今和歌集

古今和歌集
『古今和歌集』は「仮名序」(仮名文の序)と「真名序」(漢文の序)というふたつの序文を持ち、仮名序は紀貫之、真名序は紀淑望の執筆とされる。それら序文のなかで和歌の歴史や享受について説いた部分に、「六歌仙」のことがいずれも取り上げられている。仮名序には柿本人麿と山部赤人が登場して後、貫之たちが『古今和歌集』編纂に至るまでの間のことを、「こゝに、いにしへのことをも、うたの心をもしれる人、わづかにひとりふたり也き」と言い、また「いにしへの事をもうたをもしれる人、よむ人おほからず」とも述べ、「そのほかにちかき世にその名きこえたる人」として「六歌仙」について取り上げ、それらに対する批評を行なっている。真名序でも人麿と赤人の後に、「浮詞雲のごとくに興り、艶流泉のごとく湧く」といった世の中となり、「六歌仙」はその中でおおむね「古風を存する者」として批評をしている。








六歌仙

六歌仙図

六歌仙
六歌仙(ろっかせん)とは、『古今和歌集』の序文に記された六人の代表的な歌人を指していった言葉。僧正遍昭、在原業平、文屋康秀、喜撰法師、小野小町、大伴黒主の六人を指す。
紀貫之

                         歌人名をクリックすると画像拡大、歌人名の下は紀貫之の辛口評価

僧正遍昭在原業平文屋康秀
僧正遍昭(そうじょうへんじょう)在原業平(ありはらのなりひら)文屋康秀(ふんやのやすひで)
歌は整っているが真実味に欠ける。絵に描いた女性に無駄な心を動かしているようだ心情はありあまっているが、言葉が足りない。しぼんだ花が色あせたのに香りだけが残っているようなものだ言葉は巧みだが歌の姿が内容に似つかわしくない。商人が立派な服を着ているようなものだ
喜撰法師小野小町大伴黒主
喜撰法師(きせんほうし)小野小町(おののこまち)大伴黒主(おおとものくろぬし)
言葉がぼんやりしていて歌の首尾が一貫していない。秋の月が夜明け前の雲に覆われたようだ趣はあるが強くない。高貴な女性が病気に苦しんでいる姿に似ている。力強くないのは女性の歌だからだろう歌の姿が通俗でみすぼらしい。薪を背負っている山人が花の陰で休んでいるようなものだ

和歌史関連年表

歌会始めの儀

歌会:人々が集い歌を詠む会合。奈良時代から現代まで、さまざまな規模・内容・形式で開催されている。年の始めに行うものが「歌会始」で宮中の「歌会始めの儀」が有名。

「歌会始めの儀」(宮殿「松の間」)















俳句入門

芳賀勝風先生(豊田大島教場)より「初心者の為の俳句入門」をご投稿していただきました、先生の俳句は中日新聞「中日俳壇」に松里(しょうり)の俳名で度々入選されております。非常に判りやすい説明ですので参考にして、創作に挑戦してみましょう。
第一章
和歌の発句(上の句)から派生発展(連歌⇒俳諧⇒俳句)した形式

●●●●●○○○○○○○●●●●●

季語(きご):季節を代表する風物を表す語句(陰暦のため現代の季節とのズレが生じる)
五月雨の 降り残してや 光堂

新年
天文初日(はつひ)
初明り(はつあかり)
東風(こち)
朧月(おぼづき)
風薫る(かぜかおる)
五月雨(さみだれ)
十五夜(じゅうごや)
(つき)
(こがらし)
時雨(しぐれ)
地理初富士(はつふじ)
若菜野(わかなの)
残り雪(のこりゆき)
春の海(はるのうみ)
植田(うえだ)
土用波(どようなみ)
不知火(しらぬい)
水澄む(みずすむ)
枯野(かれの)
垂氷(たるひ)
時候初春(はつはる)
松の内(まつのうち)
長閑(のどか)
行春(ゆくはる)
梅雨冷え(つゆびえ)
短夜(みじかよ)
八朔(はっさく)
夜長(よなが)
行年(ゆくとし)
重ね着(かさねぎ)
人事初釜(はつがま)
蓬莱(ほうらい)
汐干(しほひ)
麦踏(むぎふみ)
団扇(うちわ)
更衣(ころもがえ)
送り火(おくりび)
紅葉狩(もみじがり)
蒲団(ふとん)
酉の市(とりのいち)
動物初声(はつこえ)
初雀(はつすずめ)
(かわず)
雲雀(ひばり)
蝸牛(かたつむり)
時鳥(ほととぎす)
(かり)
鈴虫(すずむし)
牡蠣(かき)
千鳥(ちどり)
植物(だいだい)
福寿草(ふくじゅそう)
(うめ)
土筆(つくし)
紫陽花(あじさい)
青葉(あおば)
(きく)
(くり)
茶の花(ちゃのはな)
寒椿(かんつばき)
例句初春
けぶり立てるも世間むき(一茶)
手枕に
身を愛すなりおぼろ月(蕪村)
五月雨
降り残してや光堂  (芭蕉)
岩鼻や
ここにも一人の客 (去来)
宇治橋の
神や茶の花咲くや姫 (宗因)

⇒ 季語一覧
⇒ 日本俳句研究会


随筆
方丈記
上記図表は中日新聞(2016.8.28サンデー版)より転載させていただきました

方丈庵

「方丈記」の作者・鴨長明は平安時代末頃(1155年)に生まれ、鎌倉時代(1216年 享年62歳)にこの世を去りました。京都の下鴨神社の最高位の神職の次男に生まれたが後年、俗世間を嫌って出家(1204年 50歳)し、1208年平安京郊外の日野に庵を造り住みつきました。庵の広さは方丈(約3m)四方の小さなものです。しかし長明の心は満たされていました、寝るところも居場所もあり「一身を宿すに不足なし」というのです。1212年(58歳)「方丈記」を執筆した。歌人・琵琶の名手でもある。
「大きいことはいいことだ」に象徴される大量消費の生き方から、「小さくても幸せ」という貧の生き方へと転換すべき時ではないでしょうか。
   方丈庵(部分拡大)

方丈記

(現代語訳)
川の流れは途絶えることはなく、(しかもそこを流れる水は)もとの水ではない。川のよどみに浮かんでいる水の泡は、一方では消え、一方ではまたできたりと、そのままの状態で長くとどまっている例はない。この世に生きている人とその人たちが住む場所も、また同じようなものである。




      原文(冒頭)


【参考】三大随筆

作品名枕草子方丈記徒然草
成立時期平安中期鎌倉初期鎌倉後期
著者清少納言鴨長明兼好法師
冒頭春はあけぼのやうやう白くなりゆく・・ゆく河のながれは 絶えずして・・つれづれなるままに 日くらし・・
特徴貴族社会や自然美が主題
「をかし(興味深い)」を多用
自然災害や人災をルポ風に記述
リズムのよい名文で無常観を書き綴った
前半:五大災厄(大火・竜巻・遷都・
   飢饉・大地震)の描写
後半:人生を振り返り現在の暮らしを
   紹介
種々の見聞や随想を記した
無常観が根底にある

【平和の俳句】
投稿案内・投稿句 ⇒ 中日新聞「平和の俳句」 (2015.1.1)
中日新聞(2015.12.27)より転載
平和の俳句(上段)
平和の俳句(中段)
平和の俳句(下段)
中日新聞(2015.12.27)より転載
平和の俳句(外国人)
参考 ⇒ ヘルマン・ファンロンパイ元ベルギー首相

日本のしきたり・風習

【日本人の自然観と信仰】
季節の移り変わりを自然現象から読取り日常生活を営んできました。日本人は自然現象や山川草木に神を見出して敬い共同体の結束をはかってきました。そんな時間・自然・信仰に対する独自の感性は日本の伝統的なしきたりや年中行事の根底に息づいています。しかし時代とともに、原初のかたちは大きく様変わりしております。民俗学者・神崎宣武氏(角川ソフィア文庫「しきたりの日本文化」によると、作法の縮小化・大衆化、なかでも明治の「神仏分離令」にもかかわらず「神仏習合」が伝わっている。ここで改めて「しきたりの原初」を確認しておくことは大事なことです。
(こよみ):旧暦・新暦 二十四節気 七十二候 十二支
    詳細⇒「詩吟ミニ講座」→ 詩の主題

       「わが日本」→ 日本の文化 → 日本のしきたり・風習
しきたり
※「名称」(青文字のみ)をクリックすると画像拡大(拡大図の右上Ⓧ印で閉じる)

分類名 称画    像解     説
信仰自然崇拝自然崇拝原初は自然物・自然現象を対象とする崇拝、もしくはそれらを神格化自然崇拝(しぜんすうはい)とは、自然物・自然現象を対象とする崇拝、もしくはそれらを神格化する信仰の総称。「自然への崇拝」ではなく、「自然」という概念ができる以前の崇拝形態である。自然崇拝は世界各地に見られ、また各地の神話にも自然物・現象を神格化した神が登場することから、古くは普遍的であったと思われる。万物に宿る精霊を崇拝対象とするアニミズムとも関係が深く、その原初的な形とも捉えられる。しかし自然崇拝では精霊でなく自然物・現象そのものを崇拝対象とする(自然と超自然的存在を区別しない)場合も多く、またしばしば特定の自然物・現象だけを尊重する点で区別される。
八百万(やおよろず)の神八百万の神日本の神は唯一絶対神ではなく、あらゆる自然万物に神が宿るとする原始信仰(アメニズム)で、古事記には天照大神が弟のスサノオノミコトの乱暴さに腹尾を立て天の岩戸に隠れてしまい、困った神々が「八百万の神 天の河原に神集い集いて・・・」という記述がある。現在ではクリスマスも祝う?
神と仏神と仏日本には神道と仏教が共存しており両者の使い分けが出来ています、大陸伝来の仏教は聖徳太子以降に国家鎮護として急速に浸透し「神仏習合」「本地垂迹」の思想が生れた。明治政府の神仏分離令により禁止されたが、いまなお残っている。民俗学者・神崎宣武は「ニッポン教」と呼んでいる。
現代日本人の神仏観
」に必要な力とエネルギーの供給を願い、「」に過剰な欲望や力の制御を求める。自動車のアクセルとブレーキに相当する。神と仏の双方に祈りを捧げる日本人は、「宗教」に不真面目ではなく、むしろ篤い信仰心の持ち主といえる。(愛知学院大学・木村文輝)
伊勢神宮出雲大社
伊勢神宮(内宮)
垂仁天皇の創建によるもので主祭神は天照坐皇大御神(天照大御神)
本殿は唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)
出雲大社
創建は神代で主祭神は大国主命  本殿は大社造
礼拝は「四拍手
参照⇒日本の起源→神々の系譜
氏神と鎮守氏神と鎮守「困ったときの神頼み」といわれるが、氏一族の祖先を祀った守護神でしたが荘園制度の確立に伴い、土地の鎮守となった
祝詞(のりと)祝詞(祓詞)言葉には霊力が宿っている
祝詞(祓詞)奏上
祓詞の構成: (1)神名を唱え祈願の挨拶(掛まくも畏き)
         (2)神社縁起・神徳・祈願内容(諸の禍事罪穢)
         (3)結び言葉(恐み恐み白す)
玉串(たまぐし)玉串
玉串奉奠
玉串奉奠の作法(画像拡大)
玉串(たまぐし・たまくし)とは、神道の神事において参拝者や神職が神前に捧げる、紙垂(しで)や木綿(ゆう)をつけた榊の枝である。杉、樅、樫の枝などを用いることもある。また、神宮大麻の祓い串のように参拝の証として持ち帰り、千度祓い万度祓いを行う例もある。日本神話では、天照大神が岩戸隠れした際、玉や鏡などをつけた五百津真賢木(いほつのまさかき)をフトダマが捧げ持ったとの記述が、玉串の由来とされる。実際には、神霊の依代が玉串の由来とされる。「たまぐし」の語源については諸説ある。平田篤胤らは神話の記述のように玉をつけたから「玉串」だとし、本居宣長は「手向串」の意とする。「たま」は「魂」の意とする説もある。
神棚神棚
二礼二拍手一礼
家の中に神を祭る宮を設置し、お札・榊・灯明・御饌・神酒を献じて拝礼する。これは江戸時代に伊勢講が組織され大神宮札が家ごとに奉安されるようになってからである。
拝礼は神社参拝と同じ「二礼二拍手一礼」(明治祭式による統一作法)
寺院寺院各地にひっそりとたたずむ寺院は、寺院近在を中心とした檀家と呼ばれる信者を抱え、墓地を保有・管理しているものが多い(檀那寺)。これら小規模な寺院は、神社と異なり檀家以外には門を閉ざしている場合が一般的である。これは他国には見られない日本独特の形態であり、神道が「死」を忌むという観念(穢れ)の違いから一種の棲み分けが進んだ結果である。一方、奈良や京都などにある著名な寺院は、信仰や観光の対象として広範囲に参拝客を集める。長い神仏習合の影響により神宮寺や、仏教の仏も祀る(正確には同一視、本地仏)とされる権現(熊野権現・山王権現など)の存在もあって祈願対象としての社寺の境は極めて曖昧である。神社仏閣などと言うこともある。
仏壇
本尊
仏壇
曹洞宗の例
本尊
神棚とともに家庭で仏像・位牌・過去帳を安置して祀る厨子を云う。信仰する宗派により仏壇や本尊が異なる場合が多い
年忌(ねんき)年忌人の死後、毎年巡ってくる祥月命日(しょうつきめいにち)で「回忌」とも云い追善供養の法要が営まれる。1・3・7・13・17・25・27・33・50・100回忌とあり、3・7・13回忌までに墓石を建立する。宗派にもよるが普通は33回忌で「弔い上げ」として仏事を打切り、これを機に祖霊となり子孫を見守ってくれると信じられている。
参照⇒法事・法要・四十九日
巡礼(じゅんれい)巡礼聖地・霊場に詣でる巡礼は世界の主要な宗教に見られる。日本では空海ゆかりの霊場八十八ヶ寺を巡る「四国八十八所お遍路」が有名ですが他に「西国三十三所」「秩父三十三所」「坂東三十三所」など各地に霊場巡りがある
ハレとケハレとケ普段の日常生活を送る日を「ケ(褻)」の日と呼び冠婚葬祭などを行う日を「ハレ(晴れ)」として生活に変化とケジメをつけてきました。「ケ」の生活が順調にいかなくなることを「木枯れ(ケガレ)」とし禊やお祓いをしました。「晴れ着」「晴れ姿」「晴れ舞台」などの言葉が残っている
厄年(やくどし)厄年
【数え年】生まれた時を1歳とし、正月を迎える毎に一つ年を取ります
災難や不幸に出会うことが多いとされる男女の年齢を指す。陰陽道の考えに基づくもので体調・社会的役割面で大きな変化が起こりやすいため未だに影響を与えている。神社や寺院で厄払いや厄除け祈願をする人も多い。数え年早見表⇒クリック
絵馬(えま)絵馬雨乞いなどに馬を生け贄として奉納したのが原点(続日本記)
神様が神馬に乗って人間の俗世界に降りてきたという伝説があり、お盆になるとキュウリやナスに割り箸を刺して馬形飾りを作ったりします。家内安全・商売繁盛など祈願の風習が広まった。現在では合格祈願の絵馬奉納が盛んで信仰の遊戯化でもある
破魔矢(はまや)破魔矢よく初詣の神社で授かる縁起物。本来、弓矢は武器であるが同時に魔障を祓う呪力をもつと信じられていた。祭礼で弓を射る行事もそれに因る
百度参り百度参り神仏への願掛けに寒中に滝に打たれたり井戸水をかぶる水垢離などの荒行があります。お百度参りは神社仏閣の間を一日に100往復詣で、「百日詣」は100日間の毎日詣でです。また千度参りや千日詣もあり、回数や日数を決め厳守することで満願成就につながると信じられております
賽銭(さいせん)賽銭箱もともとは中国の風習で古来の日本では無礼なこととされた。神社・寺に参詣して奉納する金銭。古くは「散米」といって米を撒く場合と洗米を紙に包んで供える「おひねり」があったが簡略化された。
縁起占い(うらない)平成28年九星八門廻盤
九星八門廻盤
九星気学(きゅうせいきがく):一般に暦や縁起の元(基本)とされる
九星・気学とは、生れた年月日の九星と干支、五行を組合わせた占術。方位の吉凶を知るために使われることが多い。九星術を元に明治42年に園田真次郎が気学としてまとめたものと、それ以前の九星術と合わせて九星・気学と総称される。生年月日によって定まる九星と十二支と、方位の吉凶を知りたい日の九星と十二支を元に占う。九星と十二支は年・月・日・時のそれぞれにあるが、このうち年と月が運勢に大きく関係するとされる。また、生年によって定まる九星を本命星、生まれ月によって定まる九星を月命星という。九星はある決まった法則で各方位を巡回することになっており、生年月日によって定まる九星と十二支との関係で各方位の吉凶を占う。
九星気学の基礎知識 本命星・月命星
(こよみ)開運暦開運暦内容暦(こよみ、れき)とは、時間の流れを年・月・週・日といった単位に当てはめて数えるように体系付けたもの。また、その構成の方法論(暦法)や、それを記載した暦書・暦表(日本のいわゆる「カレンダー」)を指す。さらに、そこで配当された各日ごとに、月齢、天体の出没(日の出・日の入り・月の出・月の入り)の時刻、潮汐(干満)の時刻などの予測値を記したり、曜日、行事、吉凶(暦注)を記したものをも含める。

日本では古代から江戸時代初期までは、各時代の中国暦(太陰太陽暦)が使われていた。1685年からは中国暦や西洋暦などを参考にした日本人による暦が作られ始めた。1873年に太陽暦であるグレゴリオ暦へ改暦され現在に至っている。改暦以前のものを旧暦と呼ぶ。
大安・仏滅大安・仏滅古代中国の暦「六曜」に基づいており、三国志で有名な諸葛孔明が戦いの吉凶を知るのに利用したことに端を発している。新暦の採用により暦注は禁止されたが、まだカレンダーなどに使用されている
干支表(かんしひょう);
十干(じっかん)
十二支(じゅうにし)
画像の説明
十干
十二支
十干と十二支を組合せたものを干支(えと)と云い年・月・日・時刻を表わすもので十干十二支とも云い中国・殷時代に生まれた一種の記号。干支の組合せは61で一巡して元に戻る。後に陰陽説・五行説が結びつき世界のあらゆる事象を理解するキーワードに使われた。日本に伝わってから陰陽道と強く結びつき人の運勢や方位の吉凶などかずかずの迷信を生むに至った
参照⇒詩の主題
方位(ほうい)方位図
画像の説明
東洋の方位 東洋(中国を中心とする東アジア)では、昔は十二支による以下の12方向の方位が用いられていた。それぞれの方位間隔は30°である。十二支(子 丑 寅 卯 辰 巳 午 未 申 酉 戌 亥)また、八卦を用いた以下の八方向による方位が、特に易で用いられた。坎(かん) 艮ごん) 震(しん) 巽(そん) 離(り)坤(こん) 兌(だ) 乾(けん)更に、十二支・八卦・十干を組み合わせた二十四方向の方位もあった。(子 癸 丑 艮 寅 甲 卯 乙 辰 巽 巳 丙 午 丁 未 坤 申 庚 酉 辛 戌 乾 亥 壬 子)
恵方(えほう)恵方
恵方(年・場所で)ここをクリック
「吉方」「明きの方」とも云い、その年の最も縁起がよいとされる方角。中国伝来の十干十二支が陰陽道によって日本で独自に展開され、方角にも吉凶があるとされた。寺社参詣にとどまらず外出・転居・旅行・縁談・家屋の建築など生活全般に亘っており迷信として公には排除されたが、なお影響力をもっている。恵方とは反対に不吉な方角が「鬼門」で日本独自の俗信である
鬼門(きもん)鬼門中国の伝説で、北東の度朔という山に桃の木があり万鬼(全ての死者の亡霊)が集まるとされた。日本に伝わると方角禁忌の考えが加わり北東の方角を避けるようになった。「表鬼門」「裏鬼門」があり玄関・便所・風呂場などを造ることを忌み嫌います
鏡餅(かがみもち)鏡餅
三種の神器(日本の起源)「八咫鏡」を模った
本来は神の依代で、宮中の「歯固め」儀式が由来。昔の鏡が円形だったことと月(陰)日(陽)の重ねで縁起が良いと考えられ、半紙を敷いた三宝に載せダイダイ・ユズリハ・昆布を添えるのが一般的。大晦日につくのを一夜餅・29日につくのを苦餅と云って嫌う
門松門松
木の梢に神が宿るといわれる
門前の左右に一対並べるのが一般的、左側が雄松・右側が雌松。年神様が降りてくるときの目印(依代)が始まり、さらに節を伸ばす竹が長寿を招く縁起物として添えられるようになった。一般的には松の内(1月7日)まで立てるが、小正月(1/15)に「事じまい」として外す地方もある。
注連(しめ)飾り注連飾り
禍神を祓うまじない
門松と同じく年神様を迎える準備、ウラジロは常緑葉であることから長寿を・ユズリハは家系を「譲って絶やさぬ」という願い・ダイダイは家が代々栄えるという縁起物。注連縄は普通の縄とは逆の「左縄」に綯い綯始めが右手に張る。
人間の世界と神の世界との境界線を表す
(出雲大社の大注連縄が有名)
屠蘇(とそ)屠蘇
無病息災を祈って飲む
家族一同が新年の挨拶を済ませて杯を廻して飲む習わし。お神酒と同じ日本酒と思われがちですが、中国唐代から飲まれている薬酒で「悪鬼を屠り 死者を蘇らせる」という意味がある
御節(おせち)御節
節句に神前に供える
もともとは節句(節供)に年神様に供える料理。家族の繁栄を願う縁起ものの家庭料理、日持ちする素材で作り年賀の来客にも出せるように重箱に詰めておくのが一般的、五重箱の最下段は空箱
雑煮(ぞうに)雑煮年神様に供えた餅を野菜・鶏肉・魚介などを一緒に煮込んだもので「雑煮餅」とも云う。
関西風・関東風などある
お年玉(おとしだま)お年玉もとは年神様からの贈り物(歳魂)で年神様に扮した村人が各家を廻って丸餅を配った習わし。お年賀と違い年少者や自分より地位の低い人に贈る
初夢初夢正月二日に見る夢で、昔は年初めの行事が2日であったことから来る。中国の「夢を食う」獏の絵を枕下に入れ吉夢を見ようとした故事から、日本では七福神を乗せた宝船を入れるようになり
「1.富士・2.鷹・3.茄子」が現在に伝わる
(みく)おみくじ「御籖」「御神籖」と書き神意を伺うことで、”神仏の配慮は公平”また”偶然は公平”という考えから生まれた。よく境内の樹木などに御籖が結わえてあるが、これは間違いで「吉」が出たら財布に入れるか神棚に供え「凶」の場合のみ逆手(右利きなら左手)で結ぶ。他に「あみだくじ」があるが、元は阿弥陀仏の光背のように放射線上に線を描いたことから発生した
神輿(みこし)神輿揃いの法被にねじり鉢巻で神輿を担ぎ町内を練り廻る姿は、まさに日本独特の風物詩です。各地に様々なスタイルが生まれ、神輿を揺さぶったり・ぶっつけたり・海や川に入れるといった神霊も驚くような祭りが見られます
縁日(えんにち)縁日誰にも幼い頃に金魚すくいや綿飴などを買って遊んだ懐かしい思い出があります。文字通り神仏に「縁のある日」で、多くの神社・寺には特定日があり8・12日は薬師、18日は観音、24日の地蔵や干支により寅:毘沙門天、午:稲荷、庚申:帝釈天など。参詣者を目当てに商人の市が立ち門前市へと発展していった
七福神七福神日本の恵比寿神に、中国の福禄寿・寿老神・布袋尊やインドの大黒天・毘沙門天・弁財天が加わって信仰されるようになった。これは中国の「竹林の七賢」の故事にあやかっている。七福神が同乗した「宝船」が有名
ダルマダルマ商売繁盛や隆運の縁起物として神社やお寺の縁日などで売られる。禅宗の始祖・達磨(だるま)大師(円覚大師)の座禅姿がモデルで願を掛ける際に片方の目を黒くしておき、願いがかなったときに他の目を黒く入れる。
招き猫招き猫商売繁盛や金運・お客を呼び込む置物として用いれられている。由来には諸説があるが昔から猫は不思議な魔力を持つ動物と考えられてきた。右手を挙げている猫は金運を、左手はお客を呼び込むと云われる
手締め手締め物事が無事終わった後「お手を拝借!」の掛け声につづきシャンシャンシャンと手締めの拍手をして解散することが行われる。もとは争い事でもめた同士が和解する際に、お互いが刃物などを持っていないことを示すために指を開いて拍手したことに始まるとされる。一本締めは三本締めの省略形
清め塩清め塩塩には不浄やケガレ祓い・清める力があると考え、神聖な場所に供えたり仏事の清め塩として用いられてきた。作法は自分の肩越しに後ろに投じるのが妥当。人間が生きていくうえで欠かせないミネラルで防腐効果があり、地鎮祭や相撲力士の土俵での塩まきにも使われている
祝い事七五三
七五三
袴着  帯解
11月15日に3歳に成った男女・5歳になった男子・7歳になった女子の成長を祝い、晴れ着を着て氏神神社でお祓いを受ける行事。地域によっては男女の年齢区別をしない所もある。千歳飴は浅草寺境内で売られていたものが全国的に普及した
十三参り十三参り数え年13歳になった男女の通過儀礼として旧暦3月13日前後に虚空蔵菩薩を祀る寺に親子で参る行事。13歳は干支では二順日(年男)に当り男の子は「半元服の祝い」女の子は初潮の時期と重なり初めての厄年にも当る
成人式成人式男女とも満20歳になると成人と認められる。古くは「元服」という男子の通過儀礼で「元」は首「服」は着用の意味で、男子は父親や烏帽子親から烏帽子を被らせてもらい一字をもらって改名した、女子は13歳頃から初潮を迎えるなど大人の条件を備えると髪上げをして裳を着てお歯黒・眉墨が許され留袖を着るようになった。
還暦(かんれき)祝い還暦昔は短命で40歳になると一族が集まって祝宴を開き、その後も十年毎に「年祝い」をした。数え年60歳で干支を一回りして「生まれ直すこと」を祝い、赤ちゃんの赤頭巾とちゃんちゃんこを贈って無病息災と長寿を祝福した
長寿祝い長寿祝い
長寿祝い(拡大表示)
還暦に続く長寿の祝い。中国の詩人・杜甫「曲江詩」の”人生七十古来稀なり”に基づく。数え年に因るが現在では満年齢も使われる。賀寿・寿賀・算賀ともいう
三三九度三三九度
三三九度杯
新郎・新婦がお神酒を飲み交わして結婚を誓い合う神式独特の儀式。大中小の三重盃のうち新郎が小盃(一の杯)を両手で受取り巫女に三度に分けて注いでもらい、一口目・二口目は口をつけるだけで三口目に飲干す、続いて新婦も同じ手順。中盃(二の杯)は逆に新婦・新郎が小盃と同手順。最後の大盃(三の杯)は小盃と同じ手順。合計九回繰返すことから三三九度と」云う。奇数三は縁起の良い数字(陽数)とされてきた。
引出物引出物宴席に招待した客に主催者から物品を贈る習慣。馬を引き出して贈ったのが語源。時代とともに品物は刀剣・弓矢・砂金・銭・鶴・鯉・茶・昆布・鰹節・落雁菓子などに広がっていった。
地鎮祭(じしんさい)地鎮祭家や建造物を新築する際、土地に宿る神霊を鎮めるために安全祈願をする。古くは陰陽師が祝詞をあげお祓いをして、お神酒を盛り砂の上にかけ施主が鍬入れをしましたが、現在は神主が中心で行う。
棟上式(むねあげしき)地鎮祭家の骨組みが出来上がって棟木を上げ神霊に感謝する儀式で、現在では棟梁が中心となってとび職や左官の手で行う。儀式後に酒宴を催し施主は祝儀を渡し労をねぎらう。
初物(はつもの)初物季節に初めてとれた野菜・果物・魚などの食べ物。生産者は「初穂(はつほ)」として神仏に供えた。なかでも初鰹・初鮭・初茄子・初茸は「初物四天王」として珍重された。現在は栽培技術・保存法の進歩で季節感が少なくなったが「旬」を大事にしたい。
中元(ちゅうげん)中元本来は中国道教の祭日「三元」の一つであったが、現在では日頃お世話になった人に贈る贈答習慣になった。一般には7月上旬~8月15日頃の時期に贈る
歳暮(せいぼ)中元もとは年の暮れに年神様や祖先の霊に米・餅・魚などを供えたのが供物を贈る習慣に変わった。塩鮭や塩ブリは「年取り肴」といわれ年越しの食膳には必ず出された。現在は日ごろ世話になった人に贈る慣習になった。
水引き水引き丁重な贈り物の包み紙にかけたり結んだりする紙紐。「しめ縄」の変化したもので「水のりを引く」という語源に由来し、進物の目的によって水引きの色や結び方がいろいろある。
慶事】:紅白・金銀・金紅で3本または5本を「両輪結び」「蝶結び」
弔事】:黒白・藍白・白・銀で2本または4本を「結び切り」「あわび結び」
熨斗(のし)熨斗水引きと同じく進物の右上に張り付ける。もとは「熨斗アワビ」の略で「火熨斗」(昔のアイロン)のことで祝儀用の生臭物であることの印。
弔事などの不祝儀袋には付けない
手紙手紙と葉書手紙と葉書礼儀を重んじる日本人にとって、書式・文体・言葉遣いなど細かな心配をしてきました。元来、手紙とは封書を指し葉書は略式です、「端書」とも書くように「端」である紙片に書き付ける覚書であり、簡潔・便宜的な手段です
表書き表書き【宛名の敬称】
様:最も一般的
殿:公文書・ビジネス文
御中:会社・団体・組織
各位:複数の人宛
役職名:殿・様は不要

脇付け:侍史・机下・御前・御許
裏書き裏書き【封印】「〆」「封」「緘」
慶事の場合は「寿」「賀」もある
差出人名は封書の継ぎ目上に書くのが正式
消印郵便物消印

メータースタンプ
 印紙消印
消印
郵便切手やはがき、収入印紙・収入証紙などが使用済(=料金支払済)であることを示し、無効化して再使用できないようにするために捺印される印(スタンプ)である。郵便切手・はがきに押されるもののことを指す場合が多く、また、そのような目的のため、切手・印紙等に押印・署名する行為を指す。課税文書に収入印紙を貼付してから文書と印紙にまたがって押印(割印)または署名するという行為(印紙税法上は「印紙を消す」という)もまた消印である。

               【消印例】
  消印例
  漫画消印
言葉方言方言
方言Map
昔の日本の中心・京都で生れた言葉が、時間がたつにつれて周りに波紋のように広がる「方言周圏論」という考え方がありますが、すべては説明できず複雑です。明治時代になると、国を一つにまとめるために東京・山の手地方の言葉が標準語に決められ、学校教育を通して人々に浸透。方言は「恥ずかしいもの」とされました。戦後になると、テレビなどを通してさらに広まり、伝統的な方言は消えつつあります。ユネスコは日本の八つの言語・方言が消滅の危機にあると指摘しています。標準語が行き渡った一方で、方言の価値が見直されてもいます。沖縄県宮古島市では方言大会も開かれており、また伝統的な方言が消えつつある一方で、標準語との中間のような「ネオ方言」も生まれています。例えば「うざったい」(東京多摩地区方言)→「うざい」「うぜえ」
名古屋弁名古屋弁名古屋弁といえば「みゃー」とか「きゃー」が有名です。
名古屋・京丹後の「〇ゃー」
名古屋弁と京都府京丹後市の言葉が似ていることが話題になりました。
京丹後市教育委員会の調査によると、特に似ているのが「赤い(akai)」のように「a()」と「i()」の母音が続くと「あきゃー」になる音の変化で、「で」の使い方も似ています。
この二つの地域には古代土器が似ているなどがあったようですが、まだよく分かっていません。
名古屋の河村たかし市長の名古屋弁は有名です。

名古屋人は音列が好き:「テンテケテン」「タッタカタ」「け」「め」
ちんちん」:グラグラ沸騰して「熱い」よりもっと最高に熱い
 たーけ、こんなもんじかに持てすか、指がワヤになってしまう
「まっくろ」「やっとか
【参考】諏訪哲史「スットン経(素っ頓狂)より」
頭語と結語頭語と結語頭語】:冒頭に書く言葉
拝啓・謹啓・急啓・前略・冠省
女性はあまり使用しない、弔事には省略
結語】結びに書く言葉
敬具・敬白・草々・かしこ

日本の年中行事

日本の年中行事は、四季の農作業にかかわる事柄が多い。それに長い間の宮廷・貴族や武士の生活が、民衆の暮らしに取り入れられ、しみこんでできあがったものが多い。
『日本人のしきたりと風習』(発行:河出書房新社)より抜粋・補記させていただきました
日本の祝日は ⇒「詩吟ミニ講座」→詩の主題を参照
【月名・開催日】は旧暦による ⇒ 「わが日本」→日本の文化→和の暦

月名主な行事名
開催日
画像行事内容
一月
(睦月(むつき))
正月初日の出
今年もよろしく
正月
初参り

童謡「一月一日」⇒(最下段
一年の最初の月をいい、新年の祝い・行事を指す。正月と呼ぶのは「正」が年の初め・年の改まる意味に由来する。古くは、正月は孟蘭盆(うらぼん)と対応するもので、半年ごとに先祖の魂を迎えて祀る性格の行事であったが、仏教の影響が大きくなるにつれ孟蘭盆は先祖の供養など仏教的行事の意味合いが濃くなっていき、正月は神祭りとしての意味合いが強くなった。つまり年神(正月様)を迎え豊作を祈り五穀を守るという性格になっていった。年末から大晦日にかけての賑わいや気ぜわしさが、一夜明けて元日となると、のどかな気分になる。日本人にとって、この初春を迎える新鮮な感覚は時代が変わっても同じである。一般に正月の終わりは20日と考えるところが多い。門松を6日の夕方に取払うことから、6日までを「松の内」と呼ぶ。旧暦(太陰太陽暦)では正月(旧正月)は立春の頃としていた、新年は一年の初めを寿ぐ意味からも最も多く行事が集中している。小正月に対し「大正月」とも呼ばれる。
元日
江戸時代の元日(旧暦:正月一日)は町人町はひっそり静まり返り庶民は寝正月が当たり前で、諸国大名の元日登城のみがあった。
立春
旧暦の一年は二十四節気の立春(冬至と春分の中間、新暦:2月4日ごろ)から始まる
若水
1日
若水古代宮中の「変若水(おちみず)」の儀式が民間に伝わったもので、元日の朝一番に汲む水の意で邪気を祓う霊力が備わっていると信じられ、この水で年神への供物や家族の食べ物を煮炊きし、口をすすぎ、茶を点てるのを習いとした。「若水迎え」では身なりを整え厳粛な気持ちで井戸へ向かい水神に餅や米を供えてから水を汲む。
初詣
1日
初詣年明けの初参:災いの神(禍神)を祓う呪い拝、今年一年の無事・平安を祈る。恵方に当る方角の神社仏閣に参るのを恵方詣りといい、古くは年籠りともいった。
修正会(しゅしょうえ)
元旦~3・7・14日
修正会旧年の罪悪を仏に懺悔し新年の天下泰平・五穀豊穣を祈願する法会。陰暦二月に行われる修正会を「修二会」といい「御水取り」に継承されている
書初め
2日
書初め吉書・試筆・初硯などと呼ばれ、若水で墨をすり恵方(吉方)に向かって詩歌を書く風習があった。「長生殿裏春秋富 不老門前日月遅」という漢詩が有名
初荷
4・5日頃
初荷昔は2日に馬・車・船に商品を積み、紅白の布で美しく飾り旗をひるがえして売り先に届けた。現在はトラックで全員拍手で送り出す。
うそかえ
7日
うそかえ 鷽(うそ)
菅原道真公が寵愛した鳥 スズメ目アトリ科ウソ属の一種。
福岡県太宰府天満宮、木製の鷽(うそ)に昨年の罪や汚れ(嘘)を託して神前に納め、代わりに今年の幸運をいただくという神事、参詣人は夫々に小さな鷽を持寄り「替えましょう」と言いながら、相手かまわず取替え合う。
十日戎(とおかえびす)
10日
十日戎各地の戎神社で行われる商売繁盛の祈願祭。宵戎(9日)・本戎(10日)・後戎(11日)があり、福娘の「商売繁盛で笹持ってこい」の掛声に参拝者は縁起物を笹竹に吊るした福笹や福飴を買い神棚に供える
左義長(さぎちょう)
14日夜
15日朝
左義長長い竹数本を立て門松・しめ飾り・書初めなどを焼く。どんど焼き・さいと焼き・オンペ焼きなどと呼ばれる。この火で餅や団子を焼いて食べると一年間の無病息災が約束されるという。
初庚申(はつこうしん)
2月2日(2017年)
初庚申中国・陰陽五行説の「三尸(さんし)」の信仰で、人間は生まれたときから体内に三尸という虫を宿しており、この虫たちが庚申の日になると宿主の罪悪を天に告げ口するという。人々は徹夜で三尸のスパイ活動を監視した。この習慣(庚申待)の本尊は帝釈天でフーテンの寅さんでお馴染みの柴又帝釈天。この信仰は表向きせゲームや物語を徹夜で楽しんだ。
山焼き
15日
山焼き奈良市若草山の山焼き。起源は諸説あるが現在は害虫駆除が目的で、午後6時打上げ花火とラッパの合図で白頭巾に黒装束の姿で山麓に一斉点火される、約40分
出初(でぞめ)
6日
出初式古くは(とび)職による消防演習や梯子の曲乗りなどが披露されたが、現在では消防署員による一斉放水やヘリコプターでの訓練が見られる
七草粥
7日
七草粥七種(ななくさ)の節句」の略。「春の七草」((せり)(なずな)御形(ごぎょう)蘩蔞(はこべら)仏の座(ほとけのざ)(すずな)蘿蔔(すずしろ))の入った粥を食べると邪気をはらい万病を除くといわれる。
歌会始め
11~15日頃
歌会始め

今上天皇・皇后
宮中における年始の歌会。天皇・皇后両陛下ご臨席の下に、国民の詠進歌のうち優れた歌が披露される。

←歌会始めの儀
 (宮殿 松の間)
平成28年度お題【人】
戦ひにあまたの人の失せしとふ
島緑にて海に横たふ
(天皇御製)

夕茜(ゆふあかね)に入りゆく一機若き日の
()がごとく行く旅人やある
(皇后御歌)

平成29年度お題【
''邯鄲(かんたん)の鳴く()聞かむと那須の野に
(つど)いし(よる)をなつかしみ思う
(天皇御製)

土筆(つくし)摘み野蒜(のびる)を引きてさながらに
野にあるごとくここに住み()
(皇后御歌)

平成30年度お題【語】
小正月
15日
小正月元は旧暦1月15日の行事、家庭的な行事で門松に対して餅花(餅を薄くのばし丸く平たく切って彩しま色したもの)や削り花(神仏に供える飾り棒)などを飾り「花正月」ともいう。正月が二回もあったのは、その年最初の満月の日だったからだ。昔の小正月には小豆粥(あずきがゆ)を食べる習慣があった、また女性を台所仕事から解放することから「女正月」とも呼ばれる。
鏡開き
11日
鏡開き正月に供えた鏡餅を食べる儀式、刃物を用いず手や槌で砕くので「開く」と目出たい言葉を使う。講道館の鏡開きが有名
かまくら
15~16日
雪かまくら秋田県横手地方の小正月行事。街路や家の門口に作られた雪室の正面に祭壇を設け御幣を立て夜は灯明を灯して水神を祭る。「ドンドン小屋」「鳥追い小屋」とも云われ用材は正月飾りと一緒に左義長のときに燃やされる。
 ⇒ みちのく五大雪まつり
小豆粥
(あずき粥)
15日
小豆粥小正月には小豆粥を食べる風習が広く一般に見られる。小豆は皮が赤色であるため特別な穀物であった。赤色は太陽の色であり、火の色であり、生命の通じる血の色でもあるため、古来、身を護り災厄を払う霊力を秘めた物と考えられていたからである。
鎮花祭(はなしずめさい)
18日
修験道山岳信仰の流れを汲む修験道(しゅげんどう)(始祖・役行者)は降雨術や退魔術などのミステリヤス・パワーをもって知られる反面で、きわめて実践的な宗教でもあった。薬学に関する実学である。鎮花祭で百合根や忍冬(スイカズラ)が供えられるのは薬種の知識に基づいた儀式で迷信と科学の混淆によって生まれた。
国旗制定日
27日
国旗制定日後醍醐帝の頃に旗印とされ、源平時代にも扇が流行して家紋や馬印にされている。川中島合戦では武田・上杉両軍とも日の丸を掲げて対陣した。島津斉彬が新造船の旗印として対外的に初めて用いた明治3年1月27日太政官布告で国旗と定められた。
二月
(如月(きさらぎ))
節分
3・4日頃
節分
ひいらぎ
もともと立春・立夏・立秋・立冬の四季の分かれ目を意味したが、特に立春の前日だけを呼ぶようになった。「豆撒き」は中国から伝わったもの(追儺)で、邪気や災厄を祓う行事で一家の主人が年男になり”福は内 鬼は外”と唱えながら豆を撒き、「おかげ」があるとして自分の歳の数だけ拾って食べる年取りの行事の名残りである。豆は「五穀」の中で米に次ぐものであった。
初午(はつうま)
最初の午の日
初午初午は稲荷社の祭で稲荷社の本社である京都・伏見稲荷神社のご祭神・宇迦御霊神が伊奈利山へ降りた日が和銅4年2月11日(711年3月4日。2月9日(3月2日)説もある)であったとされ、この日が初午であったことから、全国で稲荷社を祀る。本来は旧暦2月の最初の午の日であるが、現在では新暦2月の最初の午の日とされている。そのため、元々は春先の行事だったのが、冬の一番寒い時期の行事となってしまった。また今では2月最初の午の日とされるが、古来は、立春以降の最初の午の日に行われていた。神前に油揚げを供え油揚げや豆腐などを食べる風習がある。また江戸時代には初午が早い年は火事が多いという俗信が生まれたように多くの火事が発生した。
針供養
8日
針供養折れた針を供養して裁縫の上達を願う行事。江戸時代初期に始まり折れ針を豆腐やこんにゃくなどに刺し浅草寺淡島堂の祭神(婆利才女(はりさいじょ))に供える。仕事道具に宿る霊への純粋な信心が伝わってくる。
建国記念日
11日
建国記念日「日本書紀」で神武天皇即位の日で、明治5年12月に太陽暦で2月11日を祝日と制定。神話に基づいたもので歴史的根拠があいまいであるとの主張も根強い。「紀元」とは歴史上の年数を数えるときの基準となる最初の年で西暦紀元はキリスト降誕日で世界基準として用いられている。
涅槃会(ねはんえ)
15日
涅槃会釈迦(釈尊)入滅日。各寺院での法会では、涅槃図をかかげ遺教経を読誦して釈尊の遺徳を追慕奉賛する。推古天皇のとき奈良・元興寺での法会が最初といわれる。涅槃とは、あらゆる煩悩を脱し森羅万象の消滅変化から超越した境地で、釈迦が西方浄土を治める阿弥陀仏になったことを意味する。
歌人・西行法師の一句
願はくは 桜の下にて 春死なむ
          この如月の 望月のころ
雪まつり
上旬
雪まつり北海道札幌市内の大通公園をはじめとする複数の会場で毎年2月上旬に開催される雪と氷の祭典である。雪で作った大小の像を中心にしたものだが、すすきの会場を中心に氷像も展示される。全国から200万人以上の観光客が訪れる
太子会(たいしえ)
22日
太子会聖徳太子の御忌日に行われる法会。浄土宗の各寺院や太子ゆかりの広隆寺・法隆寺・四天王寺などでも法会が営まれる。
三月
(弥生(やがよい))
雛祭り
3日
雛祭り女の子の健やかな成長を願い、美しいひな人形を飾ってお祝いする、日本の春の伝統行事です。実はこのひな祭り、もともとは女の子のためのお祭りではなく、邪気が入りやすい季節に「穢れ」を祓うための儀式だったそうです。その源流は穢れを祓う人形(人形の紙人形)に供物を捧げて川に流した古代風習にあり、下鴨神社(京都市)や鳥取県の流し雛などに遺風が残っている。江戸時代初期は等身大で扁平な紙人形が定番で、その後に精巧な木目込による小型の座り雛(内裏雛)が広まり雛壇に飾るスタイルが定着した。
あの[桜田門外の変」が起こったのも、この日である。
潮干狩り潮干狩り潮の干満が最も大きい大潮
十三詣り
13日
十三詣り数えで13歳になった少年少女が、元服の年齢を迎えて大人になったことへの感謝を込めて虚空蔵菩薩(こくぞうぼさつ)に参詣する行事で、「知恵詣り」「知恵もらい」とも云われる。京都嵐山の虚空蔵法臨寺がよく知られている。この儀式には「参詣の帰り、渡月橋を渡りきる前に振り返ると、せっかく授かった知恵がなくなる」という俗信があり、好奇心の強い子供にとっては難行だろう。空海の虚空蔵求聞持法がその来歴とされる。
豊年祭り
15日
男根神輿姫石
豊年と殖産を祈る性器崇拝の奇祭、同日には犬山市大県神社でも女性器(右写真)を奉ずる祭があり、陰陽一対をなしており両方に参詣しないとご利益が薄くなるという
彼岸会(ひがんえ)彼岸日春分
   春の彼岸:3月21日頃
秋分
   秋の彼岸:9月23日頃
前後各3日を合わせた各7日間(1年で計14日間)。最初の日を「彼岸の入り」最後の日を「彼岸明け」と呼ぶ。中日に先祖に感謝し、残る6日は悟りの境地に達するのに必要な6つの徳目「六波羅蜜」を1日に1つずつ修める日とされている。太陽神(天照)を主神とする日本神道が背景にあると思われる日本独自の行事
御水取り
修二会(しゅにえ)
1~15日
御水取り二月堂の本尊十一面観音に練行衆と呼ばれる精進潔斎した行者がみずからの過去の罪障を懺悔し、その功徳により興隆仏法、天下泰安、万民豊楽、五穀豊穣などを祈る法要行事 奈良時代には十一面悔過法(じゅういちめんけかほう)と呼ばれる正式名称。関西では「&ruby(おたいまつ){お松明){」と呼ばれる。「修二月会」の略
清明(せいめい)
15日
画像の説明二十四節気の一つ新暦では、初候:4月5~9日ごろ(ツバメが軒下に巣作りをする時節) 次候:4月10~14日ごろ 末候:4月15~19日ごろ 
四月
(卯月(うづき))
花見
初旬
花見花は春の一時期に一斉に咲き競い2週間足らずで散るため、日本人の季節感を形成する風物となっている。可憐な花の美しさが開花期間の短さ、散り際の豪華さによりいっそう印象づけられ、しばしば人の命の儚さになぞらえられる。そのためか古来より、桜は人を狂わせるといわれることもある。持参の花見弁当を愉しむのが伝統的である。花を見ながら飲む酒は花見酒と呼ばれ風流なものではある。
醍醐の花見
   豊臣秀吉「醍醐の花見」
灌仏会(かんぶつえ)
8日
灌仏会(花祭り) 釈迦生誕像釈迦(ゴータマ・シッダッタ)が旧暦の4月8日に生まれたという伝承に基づく。降誕会(ごうたんえ)仏生会(ぶっしょうえ)浴仏会(よくぶつえ)龍華会(りゅうげえ)花会式(はなえしき)花祭(はなまつり)の別名もある。
五月
(皐月(さつき))
葵祭(あおいまつり)
15日
葵祭正式には賀茂祭、京都市の賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社(上賀茂神社)で行なわれる例祭。石清水八幡宮の南祭に対し北祭ともいう。
端午(たんご)節句
5日
端午の節句チマキ五節句の一つで女子の桃の節句(雛祭り)に対して男子の節句。元は中国の行事で薬草を摘んで野遊びをし、菖蒲やヨモギを門戸や軒にかけ菖蒲酒などを飲み邪気や疫病を祓った。また中国楚時代の詩人・屈原が国への憂憤自殺した日で、霊前にチマキを供えたことからチマキを食べることにつながったと云う。菖蒲が「尚武」「勝負」に通じるところから、武者人形(五月人形)や幟・鯉のぼりなどを飾る風習が生まれた。中国と日本の習俗がまじわって発展した
三社祭(さんじゃまつり)
第3日曜
(もとは3/18)
三社祭浅草神社の祭礼で神田祭・山王祭とともに東京三大祭の一つ。総鎮守の観音像を拾い上げたという土師真仲知(はじのまつち)を祀るところから三社明神とも呼ばれる
博多
どんたく
3~4日
博多どんたく
オランダ語Zontag(休息日)
福岡市で毎年開催される祭りで動員数は200万人を越え、新潟県上越市の「高田城百万人観桜会」、青森県弘前市の「弘前さくらまつり」や長野県の善光寺の御開帳、広島県広島市の「ひろしまフラワーフェスティバル」と並び、動員数で国内最大級の祭(都市まつり)である。博多祇園山笠とともに福岡博多を代表する祭りの一つ。
鍋冠(なべかんむり)
3日
鍋冠祭り春の大祭では御旅所から神社までの約1kmを総勢200人がねり歩く。その行列の中に狩衣姿の数え年8歳前後の少女8人が鍋を被って加わり日本三大奇祭の一つ。当社の祭神が全て食物に関係のある神であることから、このような祭が生まれたと考えられている。米原市の無形民俗文化財。
六月
(水無月(みなづき))
更衣(ころもがえ)
1日
更衣季節に応じ学生や企業の制服(夏服、冬服など)を変更する。毎年6月と10月に一斉に衣替えが行われることが多い。二週間から一か月間の移行期間が設けられる。衣替えは強制的なものではなくあくまで習慣である。しかし学校においては移行期間が終了すると強制的に制服を替える場合が多い。
百万石祭り
13~15日
百万石祭り加賀藩祖・前田利家が金沢城(尾山城)に入城した日を記念して始まった祭。尾山神社を中心に時代絵巻行列・加賀獅子舞・加賀鳶が披露される
チャグチャグ馬ッコ
15日
チャグチャグ馬ッコ盛岡市で、もとは端午の節句(5/5)に行われていたが農繁期を避け馬の労をねぎらう安息日。金銀紅紫の華やかな飾り付けをした愛馬に半天姿の男児や振袖姿の女児を乗せ、馬の神様・蒼前神社に参拝し安全健康の祈願をする。馬飾りの鈴がチャグチャグと鳴り響くことからの行事名
鞍馬竹伐会(たけきりえ)
20日
鞍馬竹伐会鞍馬山で修行していた大徳峯延上人が二匹の大蛇に襲われ、三段斬りにしたが雌蛇は仏法に従ったので許し御香水を絶やさぬよう命じ放した。この故事に因るもので八本の竹を蛇に見立て東西二組に分かれた僧兵姿の法師八人が弁慶装束で大竹を三段斬りして堂内に駆け入る速さを競う豊作の占い行事。
宇治(あがた)祭り
5~6日
宇治県祭り「暗闇祭り」とも呼ばれる奇祭で昔は男女のざこ寝で有名。祭神は応神天皇(15代)の妃・宮主宅媛(みやすけひめ)大きな御幣を奉持して神霊を移し猿田彦・膳櫃・獅子頭・神鏡・供箱・御幣・神主の順で行列をつくり暗闇の中を御旅所に渡御する。昔は裸体であったが今は白浄衣を着る
時の記念日
10日
時の記念日
  日本の標準時
時間を尊重・厳守して生活の改善合理化を進める目的で制定。天智天皇(38代)が漏刻(水時計)を設置し鐘鼓を打って時を知らせた史実『日本書紀』がある。「斗鶴」「斗景」「自鳴鐘」とも書く、古くは日時計もあった。日本の標準時は明石市を通る東経135度
七月
(文月(ふづき))
祇園(ぎおん)
1~29日

祇園祭
京都八坂神社の祭礼で祇園会・祇園御霊会ともいい疫病退散の祈願が始まり。吉符入り(1日)に始まり→神輿洗い(10日)→芸能奉納(15日)→神幸祭(17日)→お旅所発興(24日)→奉告祭(29日)に終わる。中で宵山(よいやま)(16日)と山鉾(やまほこ)巡行・神興渡御(17日)が有名、コンチキチンの祇園囃子が流れ山鉾の上では笛・太鼓・鉦が奏される。
ほうずき市
9~10日
ほうずき市東京・浅草寺境内で催され朝顔市とともに夏の風物詩として知られる。由来は源頼朝が奥州征伐の帰りに浅草で軍勢を休ませ、日射病で倒れた兵士にほおずきの実を食べさせ元気づけたという言い伝えによる。10日は浅草寺縁日「四万六千日」にもあたり雷除けの守り札などが売られ夜遅くまで賑わう
七夕
7日
七夕五節句の一つで日本古来の棚織津女(たなばたつめ)の話と中国の牽牛星・織女星の伝説が合体した宮中行事。星祭り説話と裁縫・書などの上達を祈願する乞功奠(きっこうでん)の風習とが習合した行事。
お盆
中元
15日
中元仏教では盂蘭盆(うらぼん)(Ulla-mbana)にあたり正月行事と並んで祖霊信仰の最も大事な行事である。本来は中国道教の祭日で上元(1月15日)・中元(7月15日)・下元(10月15日)の三元には灯籠に火を灯して盛大な夜祭が営まれた。中元は罪を懺悔する日とされ神を祀るとともに両親や目上の人に魚を贈る風習があった。
(おそれ)山大祭
20~24日
恐山大祭下北半島の火山・恐山山頂の恐山菩提寺で行われる地蔵講。比叡山・高野山とともに日本三大霊場の一つ。人が死ぬと霊魂は恐山へ行くと信じられ、イタコと呼ばれる霊媒(盲人の巫女)が口寄せを行い、オシラ祭文を唱えながら呪いをして死者に代わって様々な話を聞かせてくれると云う。
八月
(葉月(はづき))
十五夜
旧暦15日
十五夜十五夜月(満月)
月見
土用土用の日丑の日古代中国の陰陽五行説では万物を構成する五大要素(木・火・土・金・水)は自然・人事一切に対応し、土はそれぞれの季節の間に配置される。つまり年四回の土用があるが、なぜか夏の土用のみが意識される。二十四節気の大暑に当たり健康を害しやすく、鰻の蒲焼を食べる習慣(仕掛人:平賀源内)からであろう。
中秋の名月・お月見などと呼ばれ観月の好季節とされ月下に酒宴を張り詩歌を吟じ、すすきを飾り月見団子・里芋・枝豆・栗などを供えて楽しんだ。「仲秋」は旧暦八月をいい初秋・仲秋・晩秋と呼び特に八月節・中秋節と云った。また「いも月」とも呼び里芋類の収穫儀礼にも由来する。
詳細は月の形と呼び名 : 詩吟ミニ講座 ⇒ 詩の主題 を参照
ねぶた
1~7日
ねぷた青森市(ねぶた)・弘前市(ねぷた)で行われる七夕行事。蝦夷大将軍・坂上田村麻呂が蝦夷地遠征のとき敵勢をおびき寄せるために大きな作り物を立てたのが始めと云われる。秋の繁忙期のさまたげになる睡魔(すいま)を追い払う行事が風流化した
八朔(はっさく)
1日
八朔旧暦八月朔日(ついたち)の称。その年に採り入れた新しい稲を主家や知人などに贈って祝い豊作祈願・予祝を行った。田実(たのも)の祝い・たのも節句ともいう。
阿波踊り
13~15日
踊るアホウに見るアホウ
男踊り
男踊り 踊らにゃ損々
女踊り
女踊り 赤の蹴出しがなまめかしい
蜂須賀家政が阿波二十五万七千石の大守として入国し徳島城を築いた際、祝い酒に酔った人々が夜のふけるのも忘れて踊り歩いたのが起源。独特の流し踊りは疫病神送りにも通じ、熊本県牛深市のはいや節の系統で唄は「よしこの節」に替えられている。「連(数十名のグループ)」ごとに揃いの浴衣を着て、男は鉢巻に足袋・女は鳥追笠にピンクの蹴出という出たちで、三味線・笛・太鼓・鉦の賑やかなリズムに乗って町中を練り歩く。連や男女によって踊り方が異なり男性の踊りは仕草が滑稽で見物人の笑いを誘う。
大文字焼き
16日
大文字焼きお盆に迎えた先祖の精霊が冥府へ帰るのを送る行事で祇園祭とともに夏の京都風物詩。大文字・左大文字・妙法・船形・鳥居形の五つの火が点火される。なかでも如意が岳の大文字が最もよく知られ「大」文字のサイズは73 X 124~146mという壮大なもので加茂の河原などから見物する。
放生会(ほうじょうえ)
19日
放生会東京・門前仲町の富岡八幡宮では、江戸時代「放生会例祭」に殺到する参詣客の重みで橋が崩落し多くの死者を出した。生きとし生けるものの命を救う放生会で人命が失われた。人間に捕らわれた鳥獣や魚を放って自然界へ帰す殺生禁断の教えを説く仏教儀式。参詣客を目当てに境内や門前では「放し鳥」「放し亀」「放し鰻」が売られる。
千灯供養
24日
千灯供養京都・化野(あだしの)念仏寺での無縁仏の供養祭。昔この付近は風葬で山中には無数の無縁仏があり地元の人が寄せ集めて供養したのが起源。1000を超える灯がゆらぎ、この世の無常を感じさせる過ぎ行く夏の夜の素朴な行事
大提灯祭り
26~27日
大提灯祭り愛知県西尾市一色町・諏訪神社で行われる祭礼で、海の悪霊による水害を避けるために社前に篝火(かかりび)を燃やし太鼓を叩いて追い払ったのが起源。後に篝火は提灯に変えられた。
九月
(長月(ながつき))
重陽(ちょうよう)
9日
重陽
重陽
吟詠「九月十日」⇒(最下段
五節句の一つ「重陽の節句」。陽数の極「九」が重なるところから「重九」「菊の節句」「九月節句」とも呼ばれる。中国から伝わったもので観菊の宴が催され菊酒を飲み無病息災・長寿を願った。「菊綿」行事(菊花に綿を着せて露・香を移し身体をなでて長寿を祈願)は日本独自の風習である



去年今夜侍清涼
秋思詩篇独断腸
恩賜御衣今在此
捧持毎日拝余香
十三夜
旧暦13日
十三夜十五夜月(十五夜月・満月)に対し
十三夜月「後の月」「豆名月」「栗名月」とも呼び十五夜に次いで美しい。
日本固有の風習で十五夜のように中国伝来ではない。
詳細は月の形と呼び名 : 詩吟ミニ講座 ⇒ 詩の主題 を参照
流鏑馬(やぶさめ)
16日
流鏑馬鶴岡八幡宮
流鏑馬(やぶさめ)鶴岡八幡宮
鎌倉市・鶴岡八幡宮例大祭で奉納される騎射競技が正式の型で残っている。舞殿で神酒拝載式の後、弓袋差郎党を従えて三騎の射手が境内の馬場に入場する。先導に神職・総奉行・馬場元来役・的立などが進み鎧武者の行列となる。行列が馬場を一巡すると総奉行の合図で一の射手が約250mの馬場を三つの板的を次々と鏑矢(かぶらや)で射ながら駆け抜ける。
風の盆
1~3日
風の盆富山県八尾市の古い祭。越中おわら節の哀切感に満ちた旋律にのって、坂が多い町の道筋で無言の踊り手たちが洗練された踊りを披露する。艶やかで優雅な女踊り、勇壮な男踊り、哀調のある音色を奏でる胡弓の調べなどが来訪者を魅了する。おわら風の盆が行なわれる3日間、合計25万人前後の見物客が八尾を訪れ、町はたいへんな賑わいをみせる。
十月
(神無月(かんなづき))
鞍馬火祭
22日
鞍馬火祭京都・由岐神社の祭りで平安京の北方鎮護のため御所内の祭神を鞍馬山中に勧請して創建された。鴨川の葦で松明を作り篝火を焚いて迎え入れたのが起源。若者2・3人が大松明(長さ:4m、重さ:100kg)を担ぎ「サイレイヤ サイリョウ」の掛声も勇ましく路上の松明を点火して行く。
恵比寿講(えびすこう)
10日
夷講福の神・恵比寿を祭る行事で商家は商売繁盛を祈って親族や得意先を招き宴会をした。地方によって祭日が異なる。商売上の駆け引きから客にウソをついた罪滅ぼしとして、この日は大安売りをして神罰を免れることをしたが、現在はやたらに特別大売出しがあり新鮮味に乏しくなっている。
おくんち
7~9日
おくんち長崎市・諏訪神社の祭礼。「重陽の節句」に合わせて行われたことから御九日・お供日・お宮日とも書く。九州西北部地方で行われる秋祭りで「長崎くんち」が有名、中日には青竜(オス)と白竜(メス)の華麗な竜踊り(じゃおどり)があり異国情緒あふれる祭である
虫干し
中・下旬
虫干し大事な衣類・書籍・掛け軸などのカビや虫害を防ぐために取出して風を通す。奈良・正倉院の「曝涼」が有名。かつては梅雨明けの土用干しが行われたが、最近は乾燥時期に行われることが多い
十一月
(霜月(しもつき))
七五三
15日
七五三幼児の通過儀礼で、男子:3歳と5歳「袴着の祝い」 女子:3歳と7歳「帯解きの祝い」
(とり)の市酉の市
熊手
11月の酉の日に各地の(おおとり)(大鳥)神社に立つ市。最初を「一の酉」といい「三の酉」まである年は火事が多いち云われる。境内には熊手・おかめ面・入り船などの縁起物を商う露店が並ぶ

近年11月の酉の日
平成27年(2015):5,17,29
平成28年(2016):11,23,
平成29年(2017):6,18,30
詳細⇒酉の市
証誠寺(しょうじょうじ)
狸供養
第一土・日
狸ばやし
童謡「証誠寺のタヌキ囃子」⇒(最下段
千葉県木更津市・証誠寺の住職は音曲が得意で檀家の子女にも教えていたが、狸もその感化で名月の夜に寺庭に集まり腹つづみを打ち踊り興じて死ぬ狸があり狸塚を築いて葬り供養した。
新嘗祭(にいなめさい)
23日
新嘗祭新穀を神に供える祭りで「しんじょうさい」ともいい春の五穀豊穣を祈る祈年祭とともに大事な祭りであった。現在は国民の祝日「勤労感謝の日」
十二月
(師走(しわす))
成道(じょうどう)
8日
成道会釈迦が悟りを開いた日で「臘八会(ろうはちえ)」とも云われる。「成道」とは菩薩が修行の末、成仏得道して仏と成ることをいう。禅宗各寺院で1~8日まで行われる臘八接心は厳しい修行として知られる
煤払い
13日
煤払い家の内外の埃や汚れを掃除し一年間の厄(災難)を祓って正月を迎える。掃除を終えると鯨汁を全員揃って食べる風習があった。
冬至
22日頃
冬至
参照:詩吟ミニ講座詩の主題
かぼちゃ
小豆・柚子・かぼちゃ
二十四節気の一つ。太陽が軌道上で最も南点(黄経270度)を通過する日で、日の出から日の入りまでの時間が一年で最も短い日。冬至を境に昼間の時間が長くなっていくので、世界各地にこの日を太陽の誕生日として祝う風習がある。しかし気温は「冬至冬なか冬始め」といわれるように本格的な寒さはこれからである。「冬至かぼちゃ」といってカボチャを食べると中風や風邪にかからず魔除けにもなるという。小豆粥や柚子湯に入る風習も残っている。
餅つき
25~28日
餅つき餅はハレの日の食べ物で、とくに正月には欠かせないもので年末には各家で餅つきをした。餅は日本人だけでなく多くの米食民族に好まれるが、日本では鏡餅・菱餅・牡丹餅・お萩など神事や人生の通過儀礼・年中行事のハレの日の食べ物として大きな役割をはたした。
歳の市
17~18日
歳の市正月用の飾り物・縁起物・雑貨などを商う市で参詣人の多い社寺の境内・門前に立った。浅草寺の市が歴史も古く、「歳末大売出し」はその現代版
仕事納め
28日
仕事納め「御用納め」とも云い、その年の最後の仕事を終え掃除をして、御神酒でお開きにする。
大祓い
31日
茅の輪くぐり
    茅の輪くぐり
平安時代に百官万民の犯した罪や穢れを除き去るのが目的。
6月の晦日の大祓いを「夏(名)越の祓」
12月の大晦日の大祓いを「年越し祓」
おけら参り
31日
おけら参り京都祇園の八坂神社では大篝火に漢方薬の「おけら」を投じて焚くが、参詣人は参道で買い求めた火縄に「おけら火」をもらい受け、くるくる廻しながら帰途につく。この火で元日の雑煮を祝えば無病息災になるといわれる。
除夜の鐘
除夜の鐘
動画「除夜の鐘」⇒最下段
年末最後の大晦日は旧年と新年の区切り日で、「大晦」「除夜」「年越し」と呼ばれ年神様を寝ないで待つ。神社の境内では火を焚き寺院では午前零時を前に鐘を撞き始め、年をまたいで百八回鳴らす。百八回とは十二ヶ月+二十四節気+七十二候=108で煩悩の数を表す
年越しそば
31日
年越しそば大晦日の夜に長寿・幸運を願って食べるそば、「つごもりそば」「運そば」「運気そば」「寿命そば」と呼ぶところもあり起源には諸説がある。年越しそばは食べ残すと新年には金に苦労すると云われ、また元日に食べるのを忌んだ
なまはげ
31日
なまはげ
親の言うごと聞がね
ワラシはいねが!


怠け者はいねが!
秋田県男鹿地方の小正月が大晦日になった。夜8時過ぎから3~5人の若者が一組になって、恐ろしい鬼の面を被り藁で作った蓑・腰巻きをつけ藁靴を履いて木の出刃包丁・御幣・手桶を持って、「ウォー・ウォー」と叫びながら家に上がり込む、各家では主人が羽織・袴の正装で迎え、鬼たちは神棚に拝礼した後「親の言うごと聞がねワラシはいねが」「怠け者はいねが」などと云いながら家の中を探し廻る。主人は子供を抱いて守り酒肴と餅でもてなす。鬼は今年が豊作であると祝言を述べて去る。雪国の暮しが投影された素朴で力強い行事である。
羽子板市
17~19日
羽子板市東京・浅草寺境内の羽子板市が最も名高い。男子の凧揚げに対し女子の遊びとして流行し装飾品・縁起物として押絵など豪華なものも売られた。


                          京都五山の送り火(8月16日)

                          ⇒京都五山送り火について

                              花火大会


除夜の鐘:今年も終り 新年を迎えます

午前零時と同時に各寺院で一斉に百八つ(一年12ヶ月+24節気+72候=108)の鐘がつかれます。

どうぞ よい新年をお迎えください!!

新年 明けまして おめでとうございます!!

和の暦

グレゴリオ暦

カレンダーはラテン語のカレンダエ(kalendae)に由来しカレンダエは「宣言する」「叫ぶ」の意味で、それが「新月」が出たことを報せる意となり毎月の第一日目を表す言葉となった。また英語の「moon(月)」や「month(一ヶ月)」はラテン語の「mensis(メンシス=暦の月)」が語源になっていることも、古代ローマで太陰暦が使われていたことの名残である。
日本人のしきたりや風習の本来の姿は、旧暦(太陰太陽暦)のカレンダーによって理解できる。ご先祖の暮らしの知恵と、日本の四季の素晴らしさが判る。


 具体的な内容 ⇒ わが日本 → 日本の文化 →  日本のしきたり・風習












日本がグレゴリオ暦(太陽暦)になるまでの主な和の暦

三   つ   の   暦 
太陰暦月の満ち欠けを基準にした暦
画像の説明
新月~新月=29日12時44分2秒8
太陰太陽暦(旧暦)太陰暦に太陽の運行を加味し、
19年に7度の割合で「閏月」をもうけた暦。
暦と季節が大きくずれない
1ヶ月の平均日数=29.53日
小の月=29日 大の月=30日
晦日(みそか)=月末 大晦日(おおみそか)=年末

BG二十四節気         
雑節(日本独自の特定日)
:1~3月
:4~6月
:7~9月
:10~12月 雑節
「和暦」について
画像の説明 画像の説明
                        二十四節気カレンダー         
太陽暦(新暦)
(グレゴリオ暦)
太陽が黄道上で春分点を通過してから、
再び春分点にくるまでを1年とした暦
世界標準暦
太陽年の周期=約365.242 189 44日
閏日:1年を単純に365日とすると
   4年でほぼ1日(約0.968 758 日)のずれが生じ、このずれを補正する

暦について 暦に関する幅広い情報
【参照】⇒詩の主題
旧暦を活用しよう
「和の暦」(太陰太陽暦)を使うことのメリット
日本人の季節感によく合う
                            雑節と五節句の日付(新暦・旧暦)を混同しないこと

雑節(ざっせつ)(二十四節気の他の特定日)五節句(ごせっく)
新暦(太陽暦)の日付旧暦(太陰太陽暦)の日付
節分(せつぶん)
立春の前日、源は宮中での大晦日行事
2月3日ごろ人日(じんじつ)「七草の節句」七草粥1月7日 「七草粥」を食べる日、と言えばピンと来るかも。耳慣れない名称ですが、「人日」とはズバリ「人の日」の意味です。古代中国では正月1日に鶏、2日に狗、3日に羊、4日に猪、5日に牛、6日に馬、7日に人、8日に穀をそれぞれ占ったと伝えられています(当日の晴雨で吉凶を占ったもの)。この正月7日(人の日)に、邪気を祓って1年の無事を祈るとして「七草の入った粥を食べる」風習があったのだそうです。別名「七草の節句」、この方が親しみやすい?
彼岸(ひがん)春分・秋分を中日とした前後7日間
昼夜の長さが同じ
牡丹餅・おはぎを喰う
3月18日ごろ(春)
9月20日ごろ(秋)
上巳(じょうし)
最初の巳の日(桃の節句)
「雛祭り」古代中国の穢れ祓い儀式3月3日 3月の最初の「巳の日」という意味。禊ぎをして穢れを祓い、身代りの人形に汚れをうつして河川・海などへ流す」風習などがあり、江戸時代以降「雛祭り」として庶民の間に定着しました。別名「桃の節句」は有名ですね。
社日(しゃにち)春社(種まき)・秋社(収穫)春分と秋分に
最も近い(つちのえ)の日
端午(たんご)
男子の「端午の節句」「五日の節会」菖蒲湯5月5日 こちらも5月最初の「午の日」という意味。古くは「薬草摘みの日」であり薬草としての菖蒲(しょうぶ)が「尚武」の音に通じるとして、男子の立身出世を願う行事へ転化していったとか。というワケで別名「菖蒲の節句」。
八十八夜(はちじゅうはちや)立春から88日目5月2日ごろ七夕(たなばた)
中国伝説(牽牛・織女)と「棚機つ姫」信仰が習合7月7日「たなばた」です。有名な「おり姫(織女星)とひこ星(牽牛星)」の伝説は中国から伝えられたもの。日本にも「棚機つ女(たなばたつめ)」の伝説というのがあって、双方が結びついて「七夕」の節句となったそうです。別名は「笹の節句」。
入梅(にゅうばい)芒種から5日目・立春から135目
6月11日ごろ
重陽(ちょうよう)中国伝来の儀式9月9日重陽(ちょうよう)
中国の儀式(高台で菊酒を飲む→日本「菊花の宴」)};9月9日「九」という数字は、易によれば「陽数の極」にあたり、これが重なる(非常にめでたい)という意味。中国の風習(この日に菊の花を飾り、邪気を祓って長寿を祈るというもの)が元になっており、宮中では重要な節句として位置付けられているものの、庶民には今ひとつ定着していないようです。別名「菊の節句」
半夏生(はんげしょう)7月2日ごろ
一年で最も昼の長い日
七十二候に当たる
土用(どよう)立秋の前7月19日ごろ~8月6日ごろ
一年で最も暑く健康を害しやすい時季
「土用丑の日・鰻の蒲焼」
二百十日(にひゃくとおか)9月1日ごろ
立春から210日目、稲の収穫期、
台風襲来説(?)
二百二十日(にひゃくはつか)9月11日ごろ
立春から220日目

生活にリズムと彩りが生まれる

月の満ち欠け

・農業のサイクルに合致している[上り月(半月→満月) 降り月(満月→半月)] 立春
・女性の生理・出産 人間の心理・健康状態への影響(新月 満月 満潮 干潮)
・日本古来の年中行事や儀式への彩り(中秋の名月)




歴史の真実が見えてくる

赤穂浪士の討ち入り

・江戸時代の事件や暮らし方が理解できる
(赤穂浪士の討ち入り:旧暦12月14日、新暦1月中ごろ)
 新暦12月14日の降雪は考えにくい








【詳細内容】⇒●日本の年中行事

【昭和の流行歌】
懐かしい昭和の名曲を想い出し、過ぎ去りし人生を振り返ろう!

年 代和暦(西暦)曲     名歌  手時代背景
昭和初期昭和3年(1928)波浮の港佐藤千夜子古賀ギターによる、遠い日々の”粋”と””モダン””、失恋と父を亡くした苦しい人生航路が古賀メロディーの原点
昭和6年(1931)酒は涙か溜息か藤山一郎
丘を越えて
昭和7年(1932)影を慕いて
昭和8年(1933)サーカスの唄松平晃
昭和9年(1934)国境の町東海林太郎
赤城の子守唄
昭和10年(1935)旅笠道中
緑の地平線楠木繁夫
無情の夢児玉好雄
二人は若いディック・ミネ 星玲子
野崎小唄東海林太郎
昭和11年(1936)男の純情藤山一郎
東京ラプソディー
昭和10年代昭和12年(1937)青い背広で藤山一郎戦争が徐々に激化し、当時の世相が映し出された「麦と兵隊」「シナの夜」。

哀しみの中に希望が輝く「裏町人生」「人生の並木道」。
裏町人生上原敏 結城道子 (渥美清)
人生の並木道ディック・ミネ
流転上原敏
昭和13年(1938)旅の夜風霧島昇 ミス・コロンビア
麦と兵隊東海林太郎
シナの夜渡辺はま子
昭和14年(1939)旅のつばくろ小林千代子
純情二重奏高峰三枝子 霧島昇
名月赤城山東海林太郎
昭和15年(1940)蘇州夜曲霧島昇 渡辺はま子
新妻鏡霧島昇 二葉あき子
誰か故郷を想わざる霧島昇
別れ船田端義夫
湖畔の宿高峰三枝子
昭和17年(1942)新雪灰田勝彦
昭和20年代昭和21年(1946)リンゴの唄並木路子「星の流れに」「東京ブギウギ」「テネシー・ワルツ」など進駐軍の影響で”ジャズ”が広がった
帰り船田端義夫
昭和22年(1947)星の流れに菊池章子
昭和23年(1948)憧れのハワイ航路岡晴夫
異国の丘竹山逸郎 中村耕造
東京ブギウギ笠置シヅ子
湯の町エレジー近江俊郎
昭和24年(1949)青い山脈藤山一郎 奈良光枝
長崎の鐘藤山一郎
悲しき口笛美空ひばり
昭和25年(1950)白い花の咲く頃岡本俊郎
昭和26年(1951)上海帰りのリル津村謙
昭和27年(1952)赤いランプの終列車春日八郎
テネシー・ワルツ江利チエミ
リンゴ追分美空ひばり
昭和28年(1953)君の名は織井茂子
雪の降る街を高英男
昭和29年(1954)お富さん春日八郎
昭和30年代昭和30年(1955)この世の花島倉千代子「もはや戦後ではない」と流行語が飛び出し、さらなる活気に包まれた映画黄金期。
高度成長期真っ只中の昭和39年に東京オリンピックが開催。
「上を向いて歩こう」は「スキヤキ・ソング」として全世界に広まった。
月がとっても青いから菅原都々子
別れの一本杉春日八郎
昭和31年(1956)ここに幸あり大津美子
昭和32年(1957)喜びも悲しみも幾年月若山彰
東京だョおっ母さん島倉千代子
港町十三番地美空ひばり
有楽町で逢いましょうフランク永井
夜霧の第二国道
昭和33年(1958)おーい中村君若原一郎
からたち日記島倉千代子
昭和34年(1959)古城三橋美智也
南国土佐を後にしてペギー葉山
黒い花びら水原弘
誰よりも君を愛す松尾和子 マヒナ・スターズ
人生劇場村田英雄
昭和35年(1960)アカシアの雨がやむとき西田佐知子
潮来笠橋幸夫
昭和36年(1961)上を向いて歩こう坂本九
王将村田英雄
銀座の恋の物語石原裕次郎 牧村旬子
君恋しフランク永井
昭和37年(1962)赤いハンカチ石原裕次郎
いつでも夢を橋幸夫 吉永小百合
下町の太陽倍賞千恵子
昭和38年(1963)こんにちは赤ちゃん梓みちよ
見上げてごらん夜の星を坂本九
高校三年生舟木一夫
昭和39年(1964)アンコ椿は恋の花都はるみ
東京の灯よいつまでも新川二郎
美空ひばり
昭和40年代昭和40年(1965)涙の連絡船都はるみテレビ時代を迎え、歌はますます多様化。演歌、グループ・サウンズ、フォーク・・・様々なジャンルから名曲が生まれた。
函館の女北島三郎
昭和41年(1966)君といつまでも加山雄三
骨まで愛して城卓矢
悲しい酒美空ひばり
星影のワルツ千昌夫
バラが咲いたマイク真木
昭和42年(1967)君こそわが命水原弘
真赤な太陽美空ひばり
世界は二人のために佐良直美
ブルー・シャトウジャッキー吉川とブルー・コメッツ
夜霧よ今夜も有難う石原裕次郎
昭和43年(1968)ブルー・ライト・ヨコハマいしだあゆみ
三百六十五歩のマーチ水前寺清子
昭和44年(1969)長崎は今日も雨だった内山田洋とクールファイブ
昭和45年(1970)希望岸洋子
昭和46年(1971)知床旅情加藤登紀子
おふくろさん森進一
よこはま・たそがれ五木ひろし
わたしの城下町小柳ルミ子
また逢う日まで尾崎紀世彦
昭和47年(1972)喝采ちあきなおみ
瀬戸の花嫁小柳ルミ子
岸壁の母二葉百合子
せんせい森昌子
昭和48年(1973)くちなしの花渡哲也
神田川かぐや姫
てんとう虫のサンバチェリッシュ
昭和49年(1974)襟裳岬森進一
精霊流しグレープ
昭和50年代昭和50年(1975)北の宿から都はるみタンゴやフォルクローレなど南米音楽の香りが漂うアレンジが魅力的な「別れても好きな人」
千曲川五木ひろし
シクラメンのかほり布施明
『いちご白書』をもう一度バンバン
およげ!・たいやきくん子門真人
昭和51年(1976)四季の歌芹洋子
昭和52年(1977)北国の春千昌夫
津軽海峡・冬景色石川さゆり
秋桜山口百恵
昭和53年(1978)青葉城恋歌さとう宗幸
夢追い酒渥美二郎
みちづれ牧村三枝子
与作北島三郎
いい日旅立ち山口百恵
昭和54年(1979)いとしのエリーサザンオールスターズ
贈る言葉海援隊
別れても好きな人ロス・インディオス&シルウ”ィア
おもいで酒小林幸子
昭和55年(1980)大阪しぐれ都はるみ
奥飛騨慕情竜鉄也
谷村新司
恋人よ五輪真弓
昭和56年(1981)ルビーの指輪寺尾聰
もしもピアノが弾けたなら西田敏行
昭和57年(1982)赤いスイートピー松田聖子
氷雨日野美歌
北酒場細川たかし
さざんかの宿大川栄策
昭和後期

平成期
昭和58年(1983)矢切の渡し細川たかし一途な愛を歌う「命くれない」、
川が徐々に幅を広げるようなダイナミックな名曲「川の流れのように」。
昭和59年(1984)浪花節だよ人生は木村友衛
長良川艶歌五木ひろし
娘よ芦谷雁之助
昭和61年(1986)命くれない瀬川瑛子
雪国吉幾三
時の流れに身をまかせテレサ・テン
昭和62年(1987)人生いろいろ島倉千代子
昭和63年(1988)酒よ吉幾三
昭和64年(1989)
平成元年( 〃 )
川の流れのように美空ひばり
平成2年(1990)少年時代井上陽水
浪漫飛行米米CLUB
平成3年(1991)SAY YESCHAGE & ASUKA
平成4年(1992)島唄THE BOOM

伴奏に合わせて口ずさんでみましょう! 懐かしさがよみがえります

               伴奏曲のみ              


             プロ歌手による熱唱(歌詞も表示されます)



戦後70年 それぞれの時代を生き抜いた庶民の生活に、いつも寄り添っていたのが流行歌である。(H27年9月2日 中日新聞より抜粋)
昭和の歌

        1937(昭和12)年           1944(昭和19)年           1946(昭和21)年

リンゴの唄

リンゴの唄






















             1960(昭和35)年『哀愁波止場』

日本の方言

ふるさとの なまりなつかし 停車場の 人ごみの中に そを聴きに行く (石川啄木)

方言分布

日本語は語彙・文法・音韻・アクセントなどあらゆる面で地方ごとの方言差が大きく、異なる地方に転居や旅行した際に、言葉が通じず苦労する場合が少なくない。日本語の方言は大きく「本土方言」と「琉球方言」に分かれ、それぞれがさらに細分化できる(区分章を参照)。明治以降、東京方言を基に標準語の確立と普及が進められ、地方の方言はそれを阻害するものとして否定的に捉えられるようになった。太平洋戦争後は標準語(「共通語」とも言い換えるようになった)と方言の共存が模索されるようになったが、実際には各地の伝統的な方言は急速に衰退・変質している。
日本では「方言」という語は、「めんこい」「おもろい」「ばってん」のような標準語・共通語とは異なる各地方独特の語彙や言い回し(「俚言」)あるいはアクセントや発音の違い(いわゆる「なまり」)を指す場合が多い。しかし、言語学ではアクセント・音韻・文法などを全てひっくるめ、その地域社会の言語体系全体を指すのが一般的である。すなわち、東京という一地域の日本語の体系ということで「東京方言」も当然存在する。標準語・共通語およびその基となった東京方言に対して、その他の方言は依然「教養のない田舎者の言葉」「訛っている」「崩れている」などと否定的に捉えられがちであり、また特定の方言に対する「○○弁は汚い」「○○弁は上品」などの意識・偏見が存在する。







方言の地域区分を「方言区画」と言う。日本語の方言区画は、まず本土方言と琉球方言に分けられる。方言区画は、学者によって異なり、下の分類は東条操の区画案に基づいている。この案では、本土方言は東日本方言(北海道から岐阜・愛知まで)と西日本方言(北陸から中国・四国まで)と九州方言の3つに分けられた。
東条の目指した方言区画は、方言全体の体系の違いを基準に、日本語が内部でどう分裂し各方言がどういう相互関係を持っているかを示すものだった。しかし、地域間を移動すれば方言が次第に変化し、明確な境界線が引けないということもありうる。個々の項目、たとえば「元気だ」と言うか「元気じゃ」と言うか、あるいは「せ」を「しぇ」と発音するかしないかなどには確かに境界があるが、それぞれがバラバラの境界線(等語線)を持っているため、これらを一つにまとめて方言境界を定めることは簡単ではない。そこで方言区画では、一つ一つの単語の違いよりも、文法や音韻、アクセントの体系的な違いが重視される。特にアクセントは、それ自体が体系を成している。東条が東日本方言と西日本方言の境界を愛知・岐阜と三重・滋賀の間に引いたり、中国方言と四国方言を分けたりしたことには、アクセントの違いが反映していると言われている。しかし東条の区画は、どういう手続きでその結論に達したか、具体的には示されていない。一方で都竹通年雄や奥村三雄は、母音・子音の性質や断定の助動詞、命令形語尾の違いなど、区画に用いる指標を何項目か示したうえで、それらを重ね合わせて境界を決める方法を取った。結果として、都竹案では岐阜・愛知方言は西日本方言に含められ、東関東方言は南奥羽方言の中に入れられた。奥村は、本土方言を東西の2つに分け、さらに東日本方言を東北・関東北東部・新潟県北東部と関東大部分・東海東山(岐阜・愛知含む)とに、西日本方言を北陸から九州北東部までと九州中南部とに分けた。加藤正信は、関東方言と東北方言の境界などに関して、東条案では行政区画や地理的区分をある程度重視しているのに対し、都竹案では行政・地理的区分から解放されていると評価している。金田一春彦の説はこれらとはかなり違い、近畿・四国の内輪方言、西関東・中部・中国などの中輪方言、東北や九州などの外輪方言、琉球方言にあたる南島方言に分けた。金田一は、アクセント・音韻体系や活用体系などの言語のより根幹部分の違いを重視しようとした。たとえば外輪方言は、促音・撥音・長音を独立の単位として認めなかったり、形容詞が無活用となったりする傾向がある方言としている。一方で、方言周圏論を唱えた柳田國男は、方言区画論を否定している。これに対して東条は、方言区画論では方言全体の体系を見ようとしており、語彙だけを見る方言周圏論は方言区画論と対立するものではないと反論している。しかし、日本語での方言の形成においては、日本語の祖語が歴史的に複数の方言に分岐するだけでなく、隣接する土地からの語彙の流入・伝播も起き、両者が複雑に絡んでいる。方言区画は、主に方言の分岐の仕方を捉えて行われている。

                                 方    言    例
助動詞体調方言

日本の唄

懐かしい思い出の曲を聴いてみましょう

【日本の名曲】



【荒城の月のすべて】
荒城の月 荒城の月歌詞

    上部バーの操作
    ◀◀前曲 再生 ▶▶次曲一時停止 停止音量音量スピーカー最大音下向矢印選曲リスト表示


【よく知られた唱歌・童謡】



【各地方の子守唄】



【有名な民謡】唄はすべて三橋美智也


日本の童謡・唱歌

坂本龍一

坂本龍一(ミュージシャン)
子供の頃から馴染みのある「童謡・唱歌」と本格的に向かい合うと、「実に美しい歌曲」であることが思い知らされます。
当時の日本のトップクラスの作詞家・作曲家によって生み出された傑作で、日本の美しい四季を精密かつ簡潔に描いた歌詞と、時代を超えた普遍性を持つメロディーが見事に融合しており、独特の「和の音楽世界」へと引き込まれます。
【唱歌】は児童の「徳性の涵養」と「情操の陶冶」を目的とした文部省(当時)により作られたもので、多くは外国の民謡や讃美歌などに依拠しており、やっと明治の終わりに滝廉太郎や高野辰之・岡野貞一のコンビによる「尋常小学唱歌」になった。
【童謡】は、そのような官製音楽の道徳性や啓蒙性に反発した詩人や音楽家によって作られたものです。音楽的には西洋音楽を超えて、古くから伝わる日本独特の「わらべ唄」などとも親和性があり、北原白秋は「新しい童謡は、根本を在来の日本の童謡に置く。日本の風土・伝統・童心を忘れた小学唱歌との相違はここにある」と明言している。
北原白秋や山田耕作など当時の我が国の第一級の詩人や音楽家が、児童のためにこれほど多くの歌を作ったのは世界の類をみないことで、童謡の枠を超え純粋に歌曲として優れたものです。
さっそく聴いてみましょう (歌詞は下記「歌の解説」を参照して下さい)

参照】⇒「幼少年の広場」→「なつかしい童謡」と比較(童謡・唱歌 vs 歌曲)して聴いてみて下さい

                     歌の解説(詳細)

                            作詞・作曲・演奏者名をクリックすると、略歴が参照できます。

曲名・曲趣歌     詞作詞者・作曲者演奏者
1.お正月(童謡)
お正月
お正月を待ちわびる子供の心情
もういくつねると お正月
お正月には (たこ)あげて
こまをまわして 遊びましょう
はやく来い来い お正月

もういくつねると お正月
お正月には まりついて
おいばねついて 遊びましょう
はやく来い来い お正月
詞:東くめ
東くめ
曲:滝廉太郎
画像の説明
ピアノ:フェビアン・レザ・パネ
フェビアン・レザ・パネ


歌:小池光子
小池光子
2.雪(文部省唱歌)
雪
雪と霰が「こんこ こんこ(()む?)」と空から降ってくる
雪やこんこ (あられ)やこんこ
降っては降っては ずんずん積る
山も野原も 綿帽子(わたぼうし)かぶり
枯木(かれき)残らず 花が咲く

雪やこんこ 霰やこんこ
降っても降っても まだ降りやまぬ
犬は喜び 庭()けまわり
猫は火燵(こたつ)で丸くなる
作詞・作曲者は不詳歌:三宅理恵
三宅理恵
ピアノ:小形眞子
小形眞子
3.うれしいひなまつり(童謡)
うれしいひなまつり
曲名は「うれしい・・」とあるが悲しい気持になるのは、作詞者の天折した姉への思いか?
あかりをつけましょ ぼんぼりに
お花をあげましょ 桃の花
五人ばやしの 笛太鼓
今日はたのしい ひな祭り

内裏様(だいりさま))と おひな様
二人ならんで すまし顔
お嫁にいらした 姉様に
よく似た官女(かんじょ)白い顔

金のびょうぶに うつる灯を
かすかにゆする 春の風
すこし白酒(しろざけ)めされたか
あかいお顔の 右大臣

着物をきかえて 帯しめて
今日はわたしも はれ姿
春のやよいの このよき日
なによりうれしい ひな祭り
詞:サトウハチロー
サトウハチロー

曲:河村光陽
河村光陽
歌:小池光子
ピアノ:フェビアン・レザ・パネ
4.春が来た(童謡)
春が来た
「春が来た」「花が咲く」「鳥が鳴く」というシンプルなフレーズの繰返しが心地よい
春が来た 春が来た どこに来た
山に来た 里に来た 野にも来た

花がさく 花がさく どこにさく
山にさく 里にさく 野にもさく

鳥がなく 鳥がなく どこで鳴く
山で鳴く 里で鳴く 野でも鳴く
詞:高野辰之高野辰之


曲:岡野貞一
岡野貞一
歌:三宅理恵
ピアノ:フェビアン・レザ・パネ
5.さくら さくら(古謡)
さくら さくら
子供の琴の練習曲で、日本古来の独自性が濃い
さくら さくら 野山も里も
見渡すかぎり
(かすみ)か雲か 朝日に(にお)
さくら さくら 花ざかり

さくら さくら 弥生の空は
見わたす限り
かすみか雲か 匂いぞいずる
いざや いざや 見にゆかん
日本古謡歌:三宅理恵
ピアノ:フェビアン・レザ・パネ
6.こいのぼり(童謡)
こいのぼり
同じ曲名で「(いらか)の波と雲の波 ・・・・・・」がある。この「こいのぼり」は口語体の歌詞でより馴染み深く澄み切っていて、ゆったりした感じが快晴の五月をよく表している。
屋根よりたかい こいのぼり;
おおきいまごいは おとうさん
ちいさいまごいは 子どもたち
おもしろそうに およいでる

みどりの風に さそわれて
ひらひらはためく ふきながし
くるくる回る 風車
おもしろそうに およいでる
詞:近藤宮子
近藤宮子墓碑
こいのぼり著作権で勝訴こいのぼり著作権

曲:不明
歌:三宅理恵
ピアノ:小形眞子
7.茶摘(ちゃつみ)(文部省唱歌)
茶摘
立春から88日目(5月2日頃)の「八十八夜」、木々がいっせいに芽吹き山は新緑に覆われる。春と夏の間の、さわやかな季節感と幸福感に充ちている。
夏も近づく八十八夜
野にも山にも若葉が茂る
あれに見えるは茶摘じゃないか
あかねだすきに(すげ)の笠

日和(ひより)つづきの 今日此頃を
心のどかに 摘みつつ歌う
摘めよ摘め摘め 摘まねばならぬ
摘まにゃ日本の 茶にならぬ
作詞・作曲者は不明歌:三宅理恵
ピアノ:フェビアン・レザ・パネ
8.たなばたさま(文部省唱歌)
たなばたさま
今でも七夕の日によく歌われ、坂本龍一は七夕は世界一ロマンティックな行事と云う。「五色」とは中国の五行説(万物は木・火・土・金・水、)に因る古来の自然哲学思想に由来する。「砂子(すなご)」とは金銀の星が、まるで砂のように見える「天の川」を連想させる。
ささの葉さらさら のきばにゆれる
お星さまきらきら きんぎん砂子(すなご)

五色のたんざく わたしがかいた
お星さまきらきら 空からみてる

詞:権藤はなよ
権藤はなよ
補詞:林柳波
林柳波
曲:下総皖一
下総皖一
歌:三宅理恵
ピアノ:フェビアン・レザ・パネ
9.うさぎ(文部省唱歌)
うさぎ
シンプルであるが絶妙なレスポンスで構成
うさぎ うさぎ なに見てはねる
十五夜 お月さま 見てはねる
地方で伝承の「わらべ歌」歌:三宅理恵
ピアノ:フェビアン・レザ・パネ
10.紅葉(文部省唱歌)
紅葉
紅葉したもみじが夕陽に照らされ山全体が秋色に彩られている。精密な四行詩が安易な抒情を排した旋律と相まって格調高く詠まれている。
秋の夕日に照る山紅葉(やまもみじ)
濃いも薄いも数ある中に
松をいろどる(かえで)(つた)
山のふもとの裾模様(すそもよう)

(たに)の流れ)に散り浮く紅葉
波にゆられて離れて寄って
赤や黄色の色様々に
水の上にも織る錦
詞:高野辰之
曲:岡野貞一
歌:三宅理恵
ピアノ:フェビアン・レザ・パネ
11.故郷(文部省唱歌)
故郷
明治以来の近代化・昭和の高度成長期に都市に出た地方出身者の心情を歌っていてリアリティがある。「心に決めた夢・目標を達成して、いつの日か故郷に帰ろう、美しく清らかな自然が待っている故郷に」という思いが簡潔に表現され、今でも多くの日本人の心を打つ。
(うさぎ)追いし かの山
小鮒(こぶな)釣りし かの川
夢は今も めぐりて
忘れがたき 故郷(ふるさと)

如何(いか)にいます 父母
(つつが)なしや 友がき
雨に風に つけても
思い()ずる 故郷

志を はたして
いつの日にか 帰らん
山は青き 故郷
水は清き 故郷
詞:高野辰之
曲:岡野貞一
歌:三宅理恵
ピアノ:フェビアン・レザ・パネ
12.ふじの山(文部省唱歌)
ふじの山
山の姿が優美で季節や時間帯で表情が変り、日本を象徴する名山
あたまを雲の上に出し
四方(しほう)の山を見おろして
かみなりさまを下にきく
ふじは日本一の山

青ぞら高くそびえたち
からだに雪のきものきて
かすみのすそをとおくひく
ふじは日本一の山
詞:巖谷小波
巖谷小波
曲:?
歌:三宅理恵
ピアノ:フェビアン・レザ・パネ
13.浜辺の歌(文部省唱歌)
            (篳篥演奏)
浜辺の歌
風のせせらぎ・空を舞う鳥・草木など、自然界を彷彿させる
あした浜辺を さまよえば
昔のことぞ (しの)ばるる
風の音よ 雲のさまよ
寄する波も 貝の色も

ゆうべ浜辺を もとおれば
昔の人ぞ 忍ばるる
寄する波よ 返す波よ
月の色も 星の影も
詞:林古渓(はやしこけい)
林古渓曲:成田為三成田為三
奏:東儀秀樹(とうぎひでき)
東儀秀樹
雅楽師・東儀秀樹
東儀秀樹雅楽器:篳篥(ひちりき)
篳篥 篳篥
14.うれしいひなまつり(文部省唱歌)
            (尺八演奏)
ひなまつり
複数の尺八を使い分けた演奏で楽曲のイメージが変り、もの悲しさが桃の香りが漂ってくるような幸福感がある。演奏の途中で高音域に変わるが、ごく自然に感じられる。

曲:河村光陽

奏:藤原道山
藤原道山
多音階の尺八
尺八
ピアノ:小形眞子
小形眞子

上記の内容はすべて、図書「日本の伝統行事」(著者:村上 龍 発行:講談社)付属の「日本の童謡と唱歌集」より抜粋・転載させていただきました。

日本の伝統色・文様・家紋・形状


伝統色
参考:カラーコード表(16進数)
文様
伝統文様
家紋
武将の家紋
武将の家紋
一般家紋
家紋家紋
家紋一覧1番から20番(拡大)   家紋一覧21番から40番(拡大)


四季の配色
四季の配色
エレガント配色


色のイメージ
色のイメージ
形状
日本の美の原点「大和比
「黄金比」は古今東西、古代から現代にいたる世界の芸術品や、建築物そしてDNAのらせん構造にも見られ、すべてのものの美しさと形を決めています。特に日本の古代建築の構造において、1対1.414の「大和比」という比率は古くから大工間では、神の比率とされ、1と1.414を上手く構成して建築物を創造していました。飛鳥時代、聖徳太子によって開基された法隆寺の金堂、五重塔、伽藍配置が「大和比」で同じく聖徳太子の建立された四天王寺もまた「大和比」を基本として設計されています。
画像の説明画像の説明
法隆寺 法隆寺の大和比

花のABC

以下の記事は中日新聞(H28.5.22朝刊)より転載させていただきました。
花のABC

豊橋市章

豊橋市章
旧吉田藩主の大河内家が一般公務及び軍事の際に徽章として用いた「千切(ちぎり)」を、明治42年6月制定襲用したもので、千切は結合・団結の意を象徴するものです。

日本食文化

以下の内容は中日新聞(H28.5.22朝刊)より転載させていただきました。
日本食文化の源
京野菜のは千年の歴史がある都の京だと思う。京野菜の魅力は大きく三つある。
① 日本食文化の源流である。平安時代に開花した日本文化を支え、朝廷のもとに全国からいろいろな野菜が献上され、その中から帝が選んだ野菜が京野菜だと思う。
② を大切にする季節性である。京の四季は大変はっきりしており、文学にも「冬はいみじう寒き、夏は世に知らず暑き」と記されております。その季節と並行して生産されるのが野菜の優等生といわれる理由です。
③ そのにある。四方を山に囲まれた京の都では、長い歴史の中で僧侶や公家多くの町衆の人糞や生ごみが出ました。これらの生活塵芥がもとになり肥沃な京の土が生まれ、伏見の酒で知られる豊富な地下水も大きな力になっています。
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日本茶

【参考】 ⇒ お茶百科


日本遺産
【参考】日本の文化とは
Wikipedia
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