吟道とは

礼と節

吟礼(ぎんれい)
岳精流では、吟詠(教室での練習、吟詠会など)を始めるにあたって、礼儀をとても大切に考えています。

         宗家信条                    岳精会会詩

真善美
岳精会会詩

真・善・美(しん・ぜん・び)

認識上の真と、倫理上の善と、審美上の美。人間の理想としての普遍妥当な価値をいう。


岳精会会詩
【語釈】
極致:最終的に到着するところ
一句:言葉のひとくぎり
粛然:おごそかで心の引締まるさま
自ら識る:自然に判る
古道顔色を照らす:文天祥(ぶんてんしょう)(中国・南宋の忠臣)の正気(せいき)の歌の結びのことば、後世の人々(藤田東湖・吉田松陰・広瀬武夫など)を感奮興起させた
賢聖:賢人と聖人
英傑:英雄豪傑
双眼:両目
秀麗:優れて美しいこと
萬世:よろずよ(万代)
巍峩:山の高く聳えるさま
東海:東方の海→日本国
【解説】
岳精会会詩の入魂式を昭和年月に鎌倉円覚寺続灯庵で挙行


習得心得

【岳精会 詩吟習得心得】 (岳精会「詩吟習得手帳」より)
吟の習得に、また態度に、真面目さを欠くとき、その人の吟は死吟になる。我々は、生きた吟をやるためには、常に謙虚な気持で、真面目に勉強することが大切である。(横山岳精)


★ 正しい発声
★ 正しい音程
★ 正しいアクセント
★ 的確な詩心表現
★ 礼節をわきまえた態度


【師範の心得】(三河岳精会々長・深浦精正)
。先ず 自分の健康に心がける
。流統の吟調 を正 しく指導す る
。指導は激励であると心掛けること
。みんなのや る気を起 こさせ る指導をす る
。指導者 は時間を守ること
。例え一人でも全力投球 して指導にあたる
。吟の勉強はもちろん人生の勉強 も怠るな (吟 は人な りである)
。酒 と男女関係 と金に注意せ よ (特 に金の貸 し借 りに注意)
。会員を増やせる魅力のある指導者になれ
。祈 りの心を忘れ るな (謙虚な心を忘れ るな)
。あ の人の吟は岳精流だ と分かる人になれ
。指導者は会員のためにあるのだ とい うことを忘れ るな
。自らには厳 しく、他人には寛大になれ
。指導者は奉仕の精神が必要である
。指導者 は感謝の気持 ちを持つ こと
。出来るだけ宗家の人柄、吟法に触れること
。指導者は会員の為にあるのだ とい うことを忘れ るな
。指導者は吟に燃 えない といけない
。人に喜びを与え人に幸を与える人生は幸せな人生であるとい う気持で指導す る
。勉強 して帰 る人の後姿を見よ……満足 しているか どうか
。会員一人一人の気持ちを心 として指導す る…または しよ うと努めること
。先生 と呼ばれ るか ら自分は人格者だ と勘違いす るな
。総て吟ずることにより始まるのだ…吟詠の研鑽を怠 るな
。礼 と節を忘れるな (自 分に其れがあるか反省し他人にばか り要求す るな)
。吟の指導者は大衆 とともにあ りなが ら抜きん出ていなければな らない
。吟縁は良縁である…指導者はその使者であるからその自覚、使命感 を持つ こと
。吟に貴賎な し、声に貴賎な しで指導にあたる
。指導の三原則①や さしく ②分か りやす く ③面 白く を心掛けること
。師範の自覚を持 ち自信 を以つて指導すること…グラグラしてはな らない
。自分は吟だけの先生であることを忘れ るな…人生の先生は会員 さんが先生だ
。上段者であることをいばらず、下段者を親切に指導せよ
。「詩を吟ず ることにより…」を忘れるな、年数が経つ と吟 じなくて口だけ達になりがち  

岳精流吟道の奥義(おうぎ)

原 精龍

原 精龍先生(初代・北九州岳精会会長)(宗家・横山精真の先生)
『吟道』は詩吟・吟詠等の同類語ではあるが、厳密に考えると芸能・掟・方法・芸風を含み、その真髄、至高の芸境を指向を目指しておる。かつ『』の中に教える者と、教えを受ける者との関係が厳存しており、精神的・宗教的雰囲気を持つ。詩吟は身近にあるが、吟道ははるか遠くの高い山頂にある。一年また一年と詩吟を学び、年輪ができ吟詠人としての自覚ができ始めると、吟道の世界がほのかに開けてくるであろう。岳風師の遺書に「吟道は修道的に発達せしむべきであり、指導者を誤らぬように、ご尽力ください云々」とある。岳精流吟道の奥義は全くこの遺書の精神に沿って、宗家の訓話として機会あるごとに訓示されておる。「岳精語禄」は正に宝庫である。
内容の根元は宗家の人格であり、宗家の永遠なる「命」「霊」「気」である。それに目覚めることは、宗家の吟を真剣に聞くこと以外に方法は無い、それから先は「いのち」の醍醐味を深めてゆくことを続けなけれならない。宗家の発する「いのち」の波長に同調するチャンネルを自己の内に作り出すことである。

臍下丹田

そのチャンネルは臍下丹田(さいかたんでん)にあるようだ。
『臍』は「月」(にくづき)と「齊」(いつく、神に奉仕する意)より成り、
(へそ)は神の座」を示している










岳精流統の根元、宗家の永遠の「いのち」に早く目覚めよう!
(「吟魂燃ゆ」より抜粋させていただきました。)

 
詩吟は世のため、人のためにあるとの信念に燃え、詩吟を通して世の中に奉仕しているとの精神で精進すべし。
 この言葉は始めであり、かつ終わりである。詩吟に対する根本的な姿勢で、自己規制の言葉である。
今日、生きることに感謝し、今日、吟ずることに感動する。
 まず素朴に生きていることを喜びたい。生きていることは全ての根源であることを改めて認識し、天地自然と多くの人々との良縁に支え
 られてきたことが実相であり、神仏のおかげと味わいたい。
吟は自分独りが楽しむだけでなく、善男善女のうつくしい繋がりがありがたい。
 その中心に自分が居ることを自覚することだ。宗家と教場の間に会長、会長と会員の間に教場長が居る。このつながりが精神的連帯感で
 あり、団結・一体感となり同志愛・吟友愛が生まれる。師と弟子の深い絆・先輩後輩の関係の中には『礼』と『節』による厳然とした掟
 がなければならない、これを壊しては「吟道」は存在しない。
師範は吟の巧者である前に、人格者であること。
 師範の資格は人格と実力である、常に勉強し休んだり怠けたら、力が低下する。やらねばならぬ! と決めたら腹の底からやる気が燃え
 上がる、言霊の力というべきか。
相手を見て法を説く、十把一からげにして教えてはならない。
 時間の制限をいつも考え、時間・場所・相手を見極めて適切な指導をする。この気配りがないと、教場がなんとなく落ち着かず、
 出席率が落ちてくる。こんな状況に気づいたら、師範は自己反省をする。
弟子に負い目を感ずることのないようにせねばならない。
指導については極めて厳しく、かつ惚れられる師となること。
縁作りを心掛けること、直接・間接に多くの何人かの弟子に影響をあたえていることを考える。
 それぞれの弟子は、実社会では経験を積んだ立派な方々ばかりである。弟子の厳しい目と優しい目を感じながら教えることが、
 「吟道即人道」である。
たとえ相手が一人でも、全力投球で指導せねばならない。
 相手を選り好みしたり、自分の身勝手な気分でお茶を濁してすますことは決して許されぬ自らを正して全力投球し、その熱意で感動
 せしめ、やる気十分にさせることが肝要である。
指導は優しく、わかりやすく、面白く、素直でなけらばならない。
愛情と厳格との区別を明確にし、指導者意識を露骨に出してはならない。
岳精語録はまさに師範心得である。   
               師範の本音?チョット 息抜きしましょう) 

                          元唄「風雪ながれ旅」(カラオケ)

歌詞「詩吟ながれ旅」

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      音符ミファミ ミファミと 今日も行く音符








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上図の鍵盤で弾いてみましょう
詩吟ながれ旅

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鍵盤・音符 コンダクター


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このページの最終更新日時:2020-04-09 (木) 10:33:41