吟詠アルバム「横山岳精魅力のすべて」名吟集よりに寄せる

昭和50年(1975)ポリドールレコード社より発売された、吟詠アルバム「吟詠大全集・横山岳精魅力のすべて」に寄せられた各界著名人の”推薦のことば”を紹介します。

精神的高揚の見事な結晶 (作曲家:黛 敏郎
音楽に限らず日本の芸能には、外見よりも内容を、技巧よりも精神を重んじる傾向がある。芸術表現というものが或る精神活動の成果であり、大事なのは結果としての作品よりそこの至る過程だという考え方は、日本の美学の特徴であって異論の余地もないが、さりとて結果がどうでも良いという安易な結論に私はくみしたくない。横山岳精氏の吟詠は、充実した精神の高揚が、見事な技巧と相俟って結晶した稀有な例といえよう。

横山岳精氏の吟詠について (上智大学教授・文学博士:金田一 春彦
一条天皇(986~1011在位)の時代、すなわち「源氏物語」が成立した頃に、当代随一の才人といわれた人に藤原公任という人がいた。文学・音楽すべてに通じていた人で、紫式部も清少納言もはだしで逃げ出したという人である。その編纂になるものに「和漢朗詠集」がある。漢詩や和歌を、音楽伴奏で歌うことを「朗詠」といった。その「朗詠」のテキストが「和漢朗詠集」であり、公任は朗詠の名人でもあった。
横山岳精師は、いわば、現代の藤原公任であろうか。もし、公任が現代に生きていたならば、おそらくレコードに「和漢朗詠集」を自演して吹き込むにちがいない。岳精師がこのたび吹き込まれた今回のレコードは、まさに現代の「和漢朗詠集」であるといってよい。
国文学者にして音楽学者である平野健次氏によれば、百人一首を読むのは吟詠であって「うた」といえないが、これに音楽性を持たせたものが朗詠なのだそうだ。お経でも、ふつうに唱えるのは吟誦であって、それが音楽的になった場合は朗誦になるという。してみると、現代の「吟詠」は、吟詠というには余りにも音楽的であって、事実このレコードのように、非常に変化に富む伴奏がつけられている。
岳精師は、私の父、金田一京助とも親交のあった人である。こんどのレコードにも、父の友人石川啄木の和歌を吟じたものまで収められている。父が生きていたら、このレコードを喜んで聞いたにちがいない。そして、父京助ならずとも、この岳精師の音楽性豊かな吟詠によって、古今の名歌・名詩を耳から観賞することができることのついて、随喜の涙を流す人は、非常に多いのではあるまいかとも思うものである。

富岳を望むが如く (医学博士・元NHKラジオドクター:近藤宏二
横山さんを私が知ったのは十余年前、ある電機会社健康保険組合の理事長としての、横山達雄さんであった。組合員数万人の健康管理の元締め役としてだけでなく、東京地区の健康組合団体の世話人として貴重な存在であり、人格高潔、識見豊かなその人柄にも、畏敬親愛の念を捧げてきた。
その後間もなく、吟詠の達人であることを知り、ラジオ・テレビのほか肉声にしばしば接して、朗々とし、毅然とし、颯爽とした名吟の調べに、私は陶酔させられるようになった。ある時は私が先頃中国を訪問した際彼の地で作った未熟な一詩を吟じられて、これをテープにとって送って下さったこともあった。
私は幼い時から父の影響もあって、詩を吟ずることが好きであった。しかし師について習うこともなく、全くの素人吟詠である。吟詠というものは漢詩、和歌の名文を自分の心に引き入れて、自分のものとして歌いあげるという、精神活動のよろこびがある。ストレス過剰の現代において、精神医学的効用も絶大である。もし青少年の時からこれに親しめば、気宇壮大な人格を形成するのに大いに役立つであろう。中年・初老期から習い、吟じつづければ、心臓・肺臓の能力の衰えを防ぎ、あわせて脳血管の老化をくい止めるのにも効果がある。
畏友横山達雄さんの、この十年間、外観内容ともに少しも変わらぬ心身の健康状態を眺めてきて、以上のような私の医学的考察に誤りのないことを強調して憚らないとともに、今回その名吟を集めた決定盤が完成したことは、まことに欣快に堪えない。これをたとえるなら「目に富岳を望むが如く」耳を傾けて、心身の糧としたいと考えるものである。

現代に傑出した吟界の至宝 (吟詠作詩家:松口月城
私が横山岳精氏と相識ったのは、太平洋戦争も終わりに近い頃であった。当時、国力は衰微し、わが国存亡の岐路にたった時であり、各地の工場も、工員の思想混乱と物資の欠乏に端を発したストライキが続出、いずこも経営至難の時であった。
当時の横山氏は重電機会社川崎工場にあって、経営上重要な役職者として活躍されていた。私は某日そのご案内により工場を視察する機会に恵まれたが、氏の至誠愛国の信念に燃えた厳正な態度と、一挙一動よく全工員を掌握する温和な工員愛の精神を発揮、陣頭指揮をされて居る尊い姿に、感服したものであった。
この会社が吹き荒れるストライキを未然に防ぎ得たのは、氏の人徳と、卓越した統率力に負うところが多かったとのことであるが、それ以来今日まで、三十年に亘って変わらぬご厚情に接しているのである。
また、氏の吟詠の現代に傑出していることは、あらためて申し述べるまでもなく、正に「吟界の至宝」と云って過言ではない。私は、横山氏がその崇高なる愛国の大精神をもって、ますます吟詠道の発展ならびに社会の善導に寄与せられんことを、ここに熱望するものであり、同時に、諸賢の絶大なるご協力を希ってやまないものである。

蓁々たる吟界の男鷹 (全日本詩舞道連盟会長:榊原静山
数多い日本吟詠家の中の、数少い優れた男性吟詠家!!
その中の最も右翼に位置して飛翔する男鷹が横山岳精氏であると言っても、異議をさしはさむ人はないと思う。そうであればこそ、今民放の異色音楽放送番組といわれる”題名のない音楽会”の黛 敏郎氏の眼にとまったのであろう。
私は今日までレコード会社の専属振付家として、20数年に亘ってレコードの録音に立ち会い、数多くの吟詠吹込みにじーっと耳を立てて、その吟のよさ、わるさを味わって来た。そしてその曲に詩舞の振りをつけるのに、何度も何度も聞きわけ、作詩家の言わんとする詩の内容は勿論のことであるが、吟じられた吟者の声やその人の節調が、そのまま舞扇の夢になって、芸術舞踊としての詩舞が生まれてくるのを体験してきた。それほど詩舞は吟者に左右される芸術である。
さて、今日まで横山岳精氏の吹込みによる沢山の吟詠レコードの振付を担当した舞踊家としての立場から言い得ることは、横山氏の吟は最も振付やすいということである。振付やすいだけでなく、高い芸術性をもったこの人の節調が、自然に振付者によい詩舞を創作せしめてくれるということが言える。
従って、日本詩舞道の黎明期といえる現今、このような優れた男鷹の存在が如何に必要であるかということを痛感するのは、日本詩舞道家として独り筆者だけではないと思う。
特に先年当ポリドールで製作し、全曲振付して発売された「横山岳精吟詠組曲・源義経」全九景、及び日本全国の代表的な民謡を網羅した「笹川鎮江吟詠民謡集」など、日本詩舞道の興隆と普及のために非常に大きな貢献をしているということを附言して筆をおく。